「同労者」第75号(2006年1月)                            目次に戻る 

信仰良書
− 神 へ の 道  (61) −
D.L.ムーディー 著    仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳

真実の悔い改め
 神は赦されたいと思っていない人を赦すことがお出来になると思いますか。そのような心の
状態にある人を神が赦されたとしてその人は幸福でしょうか。もし人が悔い改めなしに神の国
に入ったとしたら彼にとって天国は地獄と化すでしょう。天国とは準備の出来た人々のための
備えられた場所なのです。
 もしあなたの息子が悪いことをして悔い改めようとしないなら、あなたはその子を赦すことは
出来ないでしょう。あなたは彼に不正をすることになるからです。仮に彼があなたの机から10
ドル盗んだとします。そしてそれを無駄遣いします。あなたが家に帰って来た時、ベビーシッタ
ーが息子のしたことをあなたに告げます。あなたはそれが本当かどうか尋ねますが、彼は否定
します。しかしついにあなたは確かな証拠を得ます。息子はこれ以上言い逃れは出来ないこと
がわかった時でもそれが罪であると告白することをせず、逆にまた機会があったら同じことを
すると言います。あなたは彼に「お前を赦すよ」と言ってその問題をそのままにしておくでしょう
か。そんなことは決してしないでしょう。しかし人々は言うのです「神は全ての人を救う。その人
が悔い改めようと悔い改めまいと。酔っ払いも、泥棒も、売春婦も、売春仲介者も何の差別も
無く」と。そして「神はとても哀れみ深い」と言うのです。
 愛する皆さん。この世の神に騙されてはいけません。あなたが真に悔い改め、罪から離れて
神に向う時、神はあなたに現れ祝福してくださるのです。真実の悔い改めがなされるまでは神
の祝福はありません。
 ダビデはこの点について、彼に反逆した息子アブシャロムのことで恐ろしい誤りを犯しまし
た。ダビデはアブシャロムの心が変えられていないうちに彼を赦してしまいますが、息子に対し
てこれほど大きな不正は他にありません。悔い改めがなされないうちは彼らの間に真の和解
はあり得ませんでした。しかし神はこのような誤りはなさいません。ダビデは彼の判断の誤りの
せいで災いを抱えていきました。彼の息子はすぐに父親を王位から追放したのです。
 悔い改めについての講演で、セントルイスのブルックス博士は適切に述べています。「悔い改
めとは、厳密に言うと、思いや目的の変化を意味します。したがってそれは罪人が、キリストの
死において表された神の愛の観点で、自分自身に宣言する裁きです。それは自分自身により
頼むことをすべて捨て去り、罪人の唯一の救い主に信頼することに結びついています。救いに
つながる悔い改めと救いにつながる信仰はいつも相伴うものです。ですからもしあなたが信じ
ようとするなら悔い改めについて心配する必要はありません。
 悔い改めが十分かどうか確信が無い人々がいます。もしそれが、自分に対して神に憐れみ
深くなっていただくために悔い改めしなくてはならないということを意味するなら、すぐにそのよ
うな悔い改めはやめたほうがいいでしょう。カルバリの十字架で十分に示されたように、神はす
でに憐れみ深いのです。そしてもしあなたが自分の涙や苦悩が神を動かすと思うなら、それは
神の愛の心への悲しむべき侮辱です。「神の慈愛(goodness)があなたを悔い改めに導くことも
知らないで」(ローマ2:4)。ですから悔い改めに導くのはあなたの悪(badness)ではなく神の慈
愛(goodness)なのです。故に悔い改める真の方法は主イエス・キリストを信じることなのです。
「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえら
れたからです」(ローマ4:25)



目次に戻る   表紙に戻る