「同労者」第76号(2006年2月)
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![]() 巻頭言
一年の歩みだしとともに御言葉が与えられ、今年の取り組みや信仰と祈りの課題を持たせて
いただきながら、動きはじめました。その多くは今年新たにスタートしたことではなく数年前から 抱えていることの継続ですが、年が改まる時、もう一度その思いを強く持たせて頂き、更に神 様のみ旨を生きる者として仕えていきたいとの願いがあります。その中で特に示されている事 があり、その事について書かせていただきます。
それは教会学校の教師としての働きです。若い時からずっと教会学校の教師をさせていただ
いてきました。私が20代の頃は生徒と一緒になって聖書を学んでいったものでした。年を重ね るにつれて、この働きの大切さを思わさせられています。特にこの数年は、私たちの世代の子 供たちがその成長とともに大切な時期にきています。ですから教会学校は聖日礼拝の前の1 時間ですが、前後を省くと学びの時間はわずか30〜40分くらいしかなく、この中で生徒と向き 合い、導いていく働きをしなければなりません。私が子供の頃はそれぞれのクラスに沿ったテ キストを用いて学びを進めていましたが、今はクラス毎に違いはありますが、聖書を中心とした 学びの他に讃美を中心とする時や、ディスカッションの時、又生徒たちに課題を与えて委ねて 集会を作っていく時もあり、さまざまと内容を変えながら教会学校を進めています。そして1年 に1〜2回牧師、婦人伝道師と各クラスの教師が集まり話し合いを持っています。その中で先 生は短期間で何かをというより数年かけて取り組み形作っていくことに重きをおいておられ、そ してそのことを各教師に委ねて下さっているところが多く、その信頼に応えていく責任を感じま す。ある時期私は自分が生徒だった頃を思い返し、何を考えどんなことに夢中だったかなど、 心に残っていることを今の生徒に当てはめ、関心のある話をしていた時がありました。けれど もそれは自らが思い描いているものであって、分かり易く理解してくれればというところに視点 が置かれ、大切なことを伝え損なっていたと思わされました。そして今強く示されていることは、 御言葉をいつも中心に置きながら、時には内容が難しくすぐに答えに結びつかないことや、そ の場で理解できないことであっても、その子供たちに今伝えておかなければならない大切なこ と、教会が作り上げようとしている事などを確かに伝えることです。そして、神様の豊かな助け の御手があって、子供たちの魂の内に刻まれていくことを信じています。その事の大切さを示 されたのは、私もこの教会でそのように養い育てられてきたからです。
今年教会も「主に忠実なる者」というみ言葉が与えられスタートしました。その礼拝でのメッセ
ージもその所に触れたばかりですが、報酬(結果)に目を向けていくのではなく、主との関わり の中に生き、そこに価値を見いだし仕えていく者として歩みを進めていきたく願っています。 ![]() |