「同労者」第76号(2006年2月)                          目次に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

質問 「聖書は、イエス・キリストが真の人間であることをどのように示していますか?」

回答例(作成者:野澤)
 「イエス・キリストの人性」について、R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を
引用して説明します。


<イエス・キリストの人性>
    ・・イエス・キリストは真の人間であられることを示す聖書の記述・・

4 人間的制限の数々(つづき)
4.3 能力の制限
 イエス・キリストは、力を得るためにも人間と同じ条件に従われた。そしてまた力を働かせる
ためにも、人間と同じ条件に従われた。ただしそれは、地上生涯の間だけのことであった。

(1) イエス・キリストは祈りをされた。イエスは他の人間と同様に祈りによって働きに対する力と
勝利を与えられた。また彼はご自身の欲するものをえるためにもすべての人間と同一の条件
に従われた。
「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」
(マルコ1:35)
「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知っ
て、ただひとり、また山に退かれた。」(ヨハネ6:15)「そからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に
乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰
したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられ
た。」(マイ14:23)
「そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られ
た。『よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではな
く、みこころのとおりにしてください。』すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づ
けた。イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠
り込んでしまっていた。それで、彼らに言われた。『なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥ら
ないように祈っていなさい。』」(ルカ22:41〜46)
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大
きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
(ヘブル5:7)

(2) イエス・キリストは自らの生来の神性によらないで、聖霊の油注ぎにより、ご自身の聖業の
ための能力を受けられた。彼は力について他の人々と同様し条件に従われた。
「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、
神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者
をいやされました。」(使徒10:38)

(3) イエス・キリストは、ご自身の謙遜な地上生涯の間、制限された能力を用いられた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行な
い、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネ14:
12)


<今月の質問>「聖書は、イエス・キリストが真の人間であることをどのように示してい
        ますか?」
 次回もイエス・キリストの人性についての学びを継続します。説明について、疑問点がありま
したらお知らせ下さい。また別なテーマについても皆さんの質問を歓迎致します。






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