「同労者」第76号(2006年2月)                          目次に戻る 

論  説

 − 神の国とその義とをまず第一に 

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはや
めなさい。・・・しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っ
ておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加え
て、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:31〜

 このみことばは、キリストを信じてしばらく教会にかよった信者であるなら、誰でも耳にしてい
ると思います。そして、ほとんどすべての信者が自分もそうしようと考えていることと思います。
しかし、単なる思想、思いとしてだけではなく具体的に神の国とその義とをまず第一に求めると
はどういうことでしょうか。一例を考えましょう。今、学生たちの受験シーズンです。学校を選び
受験してその学校に進学していくのは、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか・・」ということ
を遠くに見て行っていることに他なりません。それを神第一の視点に立って決めていくというこ
とを、イエスは求めておられるのです。
教会に出入りしていても、神を信じて生きることを心に定めていない人々は議論からはずすこ
とにしましょう。神を第一にして生きることを心に定めていながら、イエスの求めておられること
を理解できないために、誤った道に進まないように、次のようなことをよく考えていただきたいと
思います。
 全然力が及ばないことを願ったり、怠けて勉強もしないのに、あの学校に行きたいと考えたり
することも今回の議論からははずしましょう。もっとも問題となるのは、勉強もし、希望する学校
に行けるのだが、その学校が自分を救いに導いてくれた教会から離れたところにある場合で
す。
 クリスチャンの親たちが子供を育てるのにどれだけ多くの労が払われることでしょうか。一人
の人が救われるためにどれだけ多くの労が教会の中で払われることでしょうか。それだけの労
が払われた救いを価値高く値ずもり、その労に応えることを考えなければなりません。そのよう
な視点で進路を選んで救われた教会の中で生き、その教会の働き人の「同労者」になるなら
ば、神は必ず喜んでくださり、「あなたはわたしを第一にした」といってくださるにちがいありませ
ん。
  

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