「同労者」第77号(2006年3月)
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「イエスは彼らに答えて言われた。『・・シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エル
サレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたし はあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。』」(ルカ13: 1〜5)
イラクやアフガニスタンなどの国々の復興について困難を極めていると言う情況を示す報道
を見聞きすると、日本復興の要因は何であったか考えさせられます。この問題について様々な 見解をもつ人々がいることでしょうが、以下の事項が最も重要なことであったというのが、筆者 の意見です。国全体を大づかみに語るのですから、個々人のことではありません。
敗戦時、都市の多くが焼き払われてしまって国全体が荒廃していました。その様な中で日本
人のおおかたは、
1.盗み、略奪などの犯罪や暴力にたよらなかった。
2.ひたすら働いた。
そして国家としての体制が整っており、
3.シャープ勧告に従った累進課税の税制によって、富の分配が貧しい人に及んだ。
朝鮮戦争による米軍の軍需など日本復興のためのよい条件がありましたが、上記のような
ことを背景に、それに応えられる国になっていたからそれらの要因が効果的なものになったと 考えられます。今、犯罪が増え、働かない人々が増え、税制は諸外国と同等にするとの意見に よって累進制が崩れて貧富の差が拡大し、この三つの事項が危うくなっている感がしますが。
日本人の平均的な民族像、それは穏やかに生きる民族です。イザベラ・バードというイギリス
人の女性旅行家がいました。バードの日本旅行記は私たち日本人が読んでも興味深いもので す。彼女は明治初期に通訳の日本人青年と東北・北海道を旅行しましたが、外国の女が通訳 ひとり伴っただけで、心配なく旅行できる国と書き送っているそうです。
さて、町中で子供をつれて歩く親子の姿を見かけたりしながら、この救われていないけれども
穏やかに生きている人々に「イエス・キリストによる救いが必用であることを、どうしたら分かっ てもらえるのだろうか?」と、ふと考えさせられます。
イエスが十字架に架かっても獲得しなければなららかった「救い」です。それなしには穏やか
に生きている人々も滅びることを私たち自身がよく知っていなければなりません。もし救われて いないなら、この世の善行も、繁栄もすべて虚しくなる時がきます。
受難週は来月ですが、もう一度イエス・キリストがこの世においでになった目的を考えたいも
のです。 |