「同労者」第78号(2006年4月)
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巻頭言
「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあ
げましょう。」(コリントT12:31)
今年の冬はとても寒い日が続きました。そのような中で、私たちの教会では路傍伝道が2月
から始まりました。伝道会の前のほんとうに短い時間ではありますが、道ゆく人々に私たち、教 会のことや集会のご案内や、キリスト教のことなどをお話します。今年の最初の路傍伝道の時 に、お証しに婦人伝道師が立たれました。そのお話の中で、婦人伝道師が神様と出会った時 のこと、クリスチャンの幸いというものがどんなにすばらしいかを語られ、道ゆく方々にお勧め がされていました。その私たちの路傍伝道の中心に、神様が確かにいらっしゃることを私は感 じました。またその夜の伝道会では、音楽の奉仕がなされました。その時にもある姉妹が、お 証しされたのですが、姉妹が教会に導かれたきっかけ、救いについてや現在与えられている 課題を真剣に語っていらっしゃいました。姉妹には家族があり、お子さんも3人いらっしゃいま すが、今は子育ての真っ最中であり、子供たちが救いに導かれることを常に祈っておられるこ とを証しされていました。私は姉妹のお証しをうかがう時に、神様の力はなんてすごいのだろう と感じ、神様は確かに生きておられると確信がもう一度与えられたことでした。
昨年の礼拝のメッセージの中で賜物について語られた時がありました。私は賜物というの
は、例えば絵が上手にかけるとか、ピアノがとても上手にひけるとか、お話しがうまい、等、人 が得意とするものだと思っていました。確かにそのようなものは大切な賜物です。そのような賜 物の他に日常の生活の中で、子供と接する時の態度や言葉や祈りなど、心が神からでるもの がまた大切な賜物なのだと私はメッセージによって示されました。
最初に書きましたお二人のお証しに私が感動を覚え、涙がとまらなかったのは、神様の真実
が語られ、私も共感をおぼえたからであります。そしてそれがお二人の賜物だと私は思いまし た。
私は今年、このような賜物をおぼえて生活させていただこうと思います。年頭に与えられまし
た御言葉が冒頭にかかげたコリント人への手紙第一12章3節です。 |