「同労者」第78号(2006年4月)                          目次に戻る 

論  説

 − 主の受難と復活 

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。・・私の宣べ伝えたこの福音のことば
をしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切な
こととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおり
に、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみ
がえられたこと・・です。」(コリントT15:1〜5)

 今年の教会歴では、4月9日がパームサンデー(棕櫚の聖日)そしてその週が受難週、14日
(金)が受難日、16日(日)がイースターとなっています。
 私たちの生きている今の時代にあっても、この世の戦いの激しいことを実感させられます
が、主のご受難とイースターの節季に、生活のどこかで時を確保し、静まって主のなされたみ
業を思い返したいものです。そして私たちの信仰の原点ともいうべきその救いを確かなものと
させていただきましょう。
 今は現地に行かなくても多くの情報が得られる時代です。イエスが歩まれた道、ガリラヤをは
じめ、イスラエルの各地の様子が写真や映像として入手できます。それらを見ることもイエスみ
足あとを忍ぶよい手段でしょう。
 イエスは、私たちの罪の身代わりとなって死ぬという目的でこの世においでになりました。年
ごとの祭りに参加してエルサレムいった時、神殿にとどまってユダヤ教の教師たちと問答して
おられた記事が書かれていますが、そのとき探しに戻ってきた両親に、「どうしてわたしをお捜
しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(ル
カ2:49)と言われていることから、幼少の頃からご自分が神の子であられることをご存じであった
ことは明らかです。
ヨセフとマリヤに育てられている時期のイエスについて、ルカはこう記しています。「イエスはま
すます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ2:51) 彼は周囲の人々か
らも愛されて生活をされたことが分かります。
彼は真の人間であられました。バプテスマのヨハネから洗礼を受け、聖霊が彼の上に臨まれ
るときまで、彼は全く普通の人間であられましたから、イエスが宣教を始められても、兄弟たち
はにわかに彼をキリストだと信じることができませんでした。(ヨハネ7:5参照)
 私たちはイエス・キリストを信じると、すばらしい救いが与えられるので、それを「福音(幸いな
音信、知らせ、メッセージ)」と呼んでいます。使徒パウロは、「あなたがたに福音を知らせまし
ょう。」といい、ここで力説していることは、キリストの死と復活であり、同時に私たち自身もキリ
ストと同様に復活に与かるのだということです。
 
  

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