「同労者」第79号(2006年5月)                          目次に戻る 

論  説

 − 創世記1章について考える 

「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあ
り、神の霊は水の上を動いていた。」(創世記1:1〜2)


 「我は、天地の造り主、能わざるところなき父の神を信ず。」これは使途信条のはじめの箇所
です。表現はそれぞれ少し異なるかも知れませんが、同じ内容の信条が、ほとんどの教会で、
集まった信徒によって礼拝ごとに告白されています。
 私たちは、神がこの世界を創造されたのだと信じているのですが、それを記述している聖書
の重要な箇所が、創世記の1章であることは論を待ちません。
 創世記1章の記事を要約すると次のようになっています。
第1日:光の創造、光とやみとの区別
第2日:大空の上の水と大空の下の水の区別
第3日:乾いた陸地と海とを区別、そして植物の創造
第4日:太陽と月と星の創造
第5日:水の中の生き物、続いて陸地に鳥の創造
第6日:陸地の生物、家畜、はうもの、野の獣などの創造、そして人間の創造
こうして創造のみ業は完成し、第7日目を休まれたのです。
 各1日ごとに、「こうして夕があり、朝があった」とされています。
 聖書の記述は救いの歴史であって、世界史ではないように、創造の記述も地球中心であって
宇宙ではありません。その視点はあくまで地球にあるのです。
 これらのみことばは、以下のように考えられます。聖書に書かれていない推論も含まれてい
ますので、確定ではなく"このようにも読める"というものであることを理解して読んで頂きたいと
思います。

 冒頭に掲げたみことばのとおり、神は天地を創造されましたが、地表は「形がなく」つまり平
坦であったために、全体が海水で覆われていました。また高温であって、水蒸気に覆われて地
表の水と空気中の水蒸気の境がないほどであり、厚い水蒸気にさえぎられて太陽の光は地表
(水面)まで届かなかったのであろうと推測できます。ですから「やみが大いなる水の上にあり」
ということを示していると考えられます。
 続くみことばに、「そのとき」(創世記1:3)という挿入が入っていますから、その状態のときに
「光よ。あれ。」と神が仰せられたのでしょう。それで、この厚い水蒸気が取り払われ、水面に
光が届けられたので、昼と夜の区別がなされるようになったのでしょう。
 「大空の下にある水と、大空の上の水とを区別された。」とは、空気に大量の水蒸気があっ
て、水面から上空までほとんど連続的に水が存在する状況であったものを、私たちが見ている
雲と雨のシステムに変えられたということでしょう。
 地殻に褶曲が与えられ、水の上に出る地面の部分が造られ、乾いた陸地となりました。そし
て海にも陸地にも植物が創造されました。海いっぱいに繁茂した恐らく藻類と思われる植物群
と陸の植物が空気を整える作用をしたと考えられます。それらについては、石炭や石油として
その痕跡が残されています。もっとも地中に埋蔵されている石油や天然ガスは、動植物由来
のものではなく、メタンの雲に覆われている星があるように、はじめから地殻の中に存在してい
るものであって、それがしみ出して来ているのだという最近の説も有力です。
 「太陽と月と星を造られた」という表現は、空気が現在のように整えられたので、空気中を光
がよく通るようになり、太陽と月と星が地表から見えるようになされたことを示すのでしょう。太
陽がこのときはじめて造られたと解すると、それ以前に「夕があり朝があった」ということが理解
できなくなります。
 植物に続いて動物が創造されましたが、まず水の中の生物、つづいて鳥類が創造されまし
た。
 つぎに陸地の生物が創造され、最後に人間が創造されました。
 以上に述べた過程そのものは、進化論者が唱える説とほとんど変わりません。現代の科学
技術をもって地質を丹念に調査した結果から導かれた説とほぼ同一の内容が、モーセの時代
に既に書かれていることは、驚異ではありませんか。

 ここで以下の三つの問題点を取り上げたいと思います。
 1.系統図の問題
 2.創造に用いられた期間(六日間)の問題
 3.人間創造の問題
 
<系統図の問題>
 生物は「種類に従って」創造されましたが、ここに「種類=種」という概念があります。詳細な
説明は省略しますが、種というのは生物学上同一である生物群の基本単位をいうのです。人
間も生物学上、一つの種であるわけです。現在分かっている種の数は、300万から1000
万、学名がつけられている種だけでも200万種あるそうです。
 系統図というのは、現在ある「種」が、ある原種からいろいろな種類に変種し、枝分かれして
多数の種に分かれてきたものと、考え、その変種の過程を図示したものです。
「地は、・・その種類にしたがって・・生ぜよ。」(創世記1:24) という記述は、神が系統的にこれ
らの種を創造されたということを否定するものではありません。ですから、地質調査を行い、化
石を調べて到達した系統図に関する結論を、否定して争う必要はないのです。

<創造に用いられた期間(六日)の問題>
 創世記の1章を先入観なしに読むと、神は六日間で天地を創造されたと読めます。
 地質の年代を調べるもっとも重要な手法の一つに、古代生物の化石に含まれている放射性
炭素の同位元素の含有量から、その年代を推定する方法があります。
 自然界に存在する炭素には、ほぼ一定の割合の放射性同位元素が含まれています。生物
が生きていて、代謝をおこない自分の体を維持していると、自然界に存在するのと同じ割合の
放射性炭素がその体に取り込まれます。しかし、その生物が死んで代謝が行われなくなると、
炭素の入れ替わりが停止します。放射性炭素は一定の速度(半減期=半分になる速度は57
30年)で、分解(崩壊といいます)し窒素になります。ですから、化石の炭素に含まれる放射性
炭素の比率をしらべるとその生物が死んでからおよそ何年経過したか推定できるのです。
 このようにして推定された、太古の生物の年代には、数千万年前という結果があります。地
球自体は70億年ともいわれます。
 筆者は、神がこれを六日間で創造された、つまり今の自然法則によらずに創造された
のだと信じていますが、これを暦日の六日ではないと考える人々もいます。聖書は科学技術の
論文ではありませんので、その表現の意味については、いずれが正しいか確定できません。
 人類が地上に現れてからの年代は、聖書の記述では、アダムから現在まで約6000年で
す。地質調査でもっと古い結論がだされているものもあるようですが、それは誤差範囲と考え
てよいでしょう。

<人間創造の問題>
 創世記1、2章に記されている人間創造の記事はどう理解すべきでしょうか。
「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の
魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられ
た。
  神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼
らを創造された。」(創世記1:26〜27)
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこ
で、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)
 神がどのような手段を用いて、「土地のちりで人を形造られた」か、このみことばだけでは確
定できません。ただほかの生物とは別のものとして、創造されたことは確かです。ですから生
物学上の系統図に、ほかの生物と一緒にのせることはできないと考えられます。

 これらすべてにわたって言えることですが、大切なことは「神が創造された」ということであっ
て、「偶然に発生したのではない」ということです。

 
  

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