「同労者」第80号(2006年6月)                         目次に戻る

巻頭言
− 主 の 訓 練 − 
仙台聖泉キリスト教会  茂永 和子

「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなけれ
ばならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あ
なたの心のうちにあるものを知るためであった。
あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らな
ければならない。」                 申命記8章2節、5節


 2006年もスタートしたと思いましたら早5ヶ月が過ぎようとしています。1年がとても早いよう
に自分の今まで歩んできた年月もあっという間に感じます。救いの恵みに与かって23年、結
婚生活も6年になろうとしています。パソコンの文書などを保存するときに「上書き保存」という
のがありますが、以前メッセージを伺う中に今の自分というものもどんどんと上書きされて以前
の姿が本当はどのようなものであったのか忘れがちであるということが語られました。与えられ
た恵みがどんなに大きなものであったかということを思い起こさせていただくことは大切なことと
思いました。
 私は結婚を通して今の教会に導かれましたが、それまでの私は良く言えば「控えめ」裏を返
せば自分の負担になること、表に出て批判されることがいやで「無難に」という生活をしていま
した。私たちの教会はバンドやハンドベルなど音楽の活動が多くあります。上手な人や得意な
人、好きな人だけがそれをするのでしたら当然私は出ていないのですが、出来る、出来ないに
かかわらずそのところに加えられているのです。それは音楽だけではなく、いろいろなことを通
しての隣人との係わりであったり、共に生きることを学ぶためであると思います。そのような中
に自分も加えられて5年が過ぎました。今でも苦手と思われるものや持っている傾向性というも
のはありますが5年前には出来なかったことが少しずつ出来るようになったりする時、訓練され
ることの喜びを感じます。
 また、神様は時に苦しみや悲しみ、試みと思われる道を通らせられることもあります。思いも
よらないことが自分の身に起こることもあります。私たちの家庭でも妊娠半ばで一つの魂を天
に送るという出来事がありました、それは大きな悲しみでした。しかし神様は乗り越えていく力
と周りで支え助けていてくださる方々を与えて下さっていることに感謝を覚えさせられることであ
ります。
  これからもどのような道を通らせられるのかわかりませんし、戸惑ったり厳しく思えることも
あるでしょう。しかし、十字架の上で命さえも惜しまずに与えてくださった方の愛を忘れることな
く、その愛に答えていくものでありたいと願います。



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