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           信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
           
          ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に あります。 
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          <イエス・キリストの死>
           
          
          先月の質問
           
          
           「イエス・キリストはなぜ、どのような目的で死なれたのですか?」
           
          
          回答例(作成者:野澤)
           
          
          また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。
           
          
          2.イエスの死の目的(イエス・キリストはなぜ死なれたのか)
           
          
          (1) イエス・キリストは人の罪のために死なれた。彼の死が必要となった理由は、罪そのもの
           
          であった。彼が死によって負われたのは、ご自分の罪ではなく他人の罪であった。彼の死は、 代理としての死、つまり代償としての死であった。生命に相応しい義人が、死に相応しい罪人 に代わって死んだのである。 
          「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼
           
          への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ 53:5) 
          「しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
           
          彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」(イザヤ53: 8) 
          「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その
           
          知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼 に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、 そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちの ためにとりなしをする。」(イザヤ53:11〜12) 
          「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。そ
           
          れは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためで した。」(ペテロT3:18) 
          「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえら
           
          れたからです。」(ローマ4:25) 
          「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
           
          キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、ま た、聖書に従って三日目によみがえられたこと、・・」(コリントT15:3〜4) 
          「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を
           
          離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたの です。」(ペテロT2:24) 
          (2) イエス・キリストはご自分の命を贖いとして与えられた。つまり、彼の死は他の人々を死か
           
          ら贖いだすために払われた代価であった。 
          「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人の
           
          ための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」(マタイ20:28) 
          (3) イエス・キリストは罪に対する「とがの供え物」とされた。それ故、罪人に赦しが与えられる
           
          のは、イエスの死によるのである。 
          「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過の
           
          ためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成 し遂げられる。」(イザヤ53:10) 
          「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。ま
           
          た、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル9:22) 
          (4) イエス・キリストの死は、私たちの罪のための贖い(宥め)のための供え物であった。神は
           
          イエスを血による贖いの供え物とされた。 
          「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物と
           
          しての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネT4:10) 
          「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示し
           
          になりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を 神の忍耐をもって見のがして来られたからです。」(ローマ3:25) 
           神は聖ですから、罪を憎まれるのです。罪人をしかるべく処罰しなければなりません。その処
           
          罰は、罪人自身かしかるべき代理者の上に下されるのです。それなしには、神が聖であられる ことはあり得ないからです。 
          <今月の質問>
           
          
           イエス・キリストはなぜ、どのような目的で死なれたのですか?(つづき)
           
          
          皆さんからの質問を受けつています。メール、FAX、お手紙などで編集委員宛ご連絡ください。
           
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