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          「同労者」第81号(2006年7月)
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          巻頭言 
          「すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タ
           
          ラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』その主人は彼 に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私は あなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25:20〜21) 
          「さて、最初の者が現れて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』主
           
          人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、 十の町を支配する者になりなさい。』」(ルカ19:16〜17) 
           サムエル記からダビデの信仰生涯を通して、「主に忠実なる者」という題で、メッセージが聖
           
          日毎に語られております。 
           その中で、忠義への挑戦ということが取り上げられました。その中で、見えない神に仕える、
           
          見えない神を見ようとしてはいけない、見えない神を見なくとも信じる事、見えたから信じるの か、そうではなく見えなくても信じる、この見えない神を信じる信仰に忠実になる、わずかな事 に忠実に生きる、ほんの小さな事に忠実に生きる、・・といったことが語られました。 
           子供との係わりの中にメッセージの指し示すことがあるように思います。
           
          
           子供は体調が良い時と、精神的に不安定な時があります。一つの事にこだわると、物事が前
           
          に進まないで、その事に不安を感じ、とどまってしまいます。大丈夫だよ、と言っても、またして も同じことを言い続けます。ですから、私が疲れてしまうことが多々あります。けれども、教会に 来て礼拝のメッセージを伺い、神に仕える事は、ハンディをもっている子供のために、私が子 供に仕えていくことが、隣人を愛することにつながっているのであると思いました。 
           神を畏れ、子供と共に歩んでいきたく願っています。
           
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