「同労者」第81号(2006年7月)                          目次に戻る 

論  説

 − 自然科学と奇跡 

「わたしが父の御名によって行うわざが、わたしについて証言しています。」(ヨハネ10:25)
「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざ
によって信じなさい。」(ヨハネ14:11)


 冒頭に掲げたみことばにある「わざ」とは、「奇跡」を意味しています。神は奇跡を行われる方
であり、奇跡はイエスが救い主であることの証明でした。
 5月号で創造の問題を取り上げました。この天地の創造と進化論のあいだの問題同様、子
供たちの成長につれて聖書に書かれている「奇跡」は本当か、という問題に遭遇することでしょ
う。
 このテーマは、第29(2002年2月)号のQ&Aのコラムに、「自然科学と信仰」という表題で
取り上げられていますが、ここでも取り上げておきたいと思います。
 神を信じていない人々が、「そんなの科学的でない」と言い出すことがらを少し拾い上げてみ
るとこんな記事があります。
・天地の創造(創世記1章)
・ノアの洪水(創世記7〜9章)
・ソドムとゴモラが天から硫黄の火が降って滅亡したこと(創世記19)
・モーセのエジプトにおける数々の奇跡(出エジプト記6〜12章)
・火と雲の柱(出エジプト記13〜14章)
・紅海の水が分かれたこと(出エジプト記14章)
・マナ(出エジプト記16章、民数記11章)
・岩から水が出たこと(出エジプト記17章、民数記20章)
・祭壇から火がでてモーセに逆らう人々を焼き尽くしたこと(民数記16章)
・ダタンとアビラムが生きたままよみ(地獄)に行ったこと(民数記16章)
・アロンの杖にアーモンドの花が咲き実がついたこと(民数記17章)
・アロンの二人の息子が祭壇から出た火で焼かれたこと(レビ記10章)
・ヨルダン川の水が分かれたこと(ヨシュア記3〜4章)
・エリコの城壁がくずれたこと(ヨシュア記6章)
・エリヤの願いで天から火が下ったこと(列王記T18:38)、(列王記U1:10)
・ダニエルの三人の友が燃える火の中で無事だったこと(ダニエル書3章)
・・
 これらの記事に書かれていることは、神が特別に働かれないなら、起き得ないことです。
 聖書にはこのような記事もあります。
・地球の自転が1日ほど止まった
「【主】がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは【主】に語り、イスラエルの見
ている前で言った。
   「日よ。ギブオンの上で動くな。
   月よ。アヤロンの谷で。」
 民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされ
ているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急が
なかった。」(ヨシュア記10:12〜13)
・地球が逆転した
「預言者イザヤが【主】に祈ると、主はアハズの日時計におりた日時計の影を十度あとに戻さ
れた。」(列王記U20:11、イザヤ書38:8)
 今の自然法則のままで、もし地球の自転が止まったり、逆転したりしたらどんなことが起きる
と思いますか?
 地球の半径は約6400km、赤道の周囲は約4万kmありますが、それが1日で1周する速さ
で地球は回っています。時速に換算すると、約1680km/hとなります。地球の表面はそんな
猛スピードで動いているのです。それと一緒にすべてのものが動いているわけです。海水も例
外ではありません。ですから、地球の自転が止まったり、逆転したりしたら海水は慣性で回り続
けて陸地に押し寄せ、陸地にあるものすべてを押し流してしまうことになります。神はそのよう
なことを起こさずに、これをなさったのです。
 自然科学というのは、神が創造されたこの自然を、後追いで調べた結果をまとめただけのも
のです。
 言語ついて、文法というものがあります。日本語の文法では主語、述語、動詞の順に並べて
話しますが、英語や中国語では、主語、動詞、述語の順に並べて話します。これは「ことば」が
先にあって、文法が先にあるのではありません。同様に自然科学は、ことばの文法に当たり、
神が創造された自然がことばに相当するのです。
 神は必要に応じていつでも自然を変えることがおできなります。
 もう一つ誘惑になることは、これらの奇跡の記事を、今の自然法則で説明したくなることでし
ょう。
 ソドムとゴモラの記事は、
「【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、これらの町々と低地
全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。」(創世記19:24〜25)と書いてあ
って、火山だとは書いていないのですが、エリヤの火のように天から降ったとは信じないで、火
山であったと考えてしまうことです。
 エリコの城壁が崩れたのは、地震であったとは書いてないですが、地震によって崩れたと考
えてしまうのも同様です。
 天地の創造、ノアの洪水、このような記事を読むときに、それを奇跡と位置づけて、書かれて
いないことを読み込まないか、書かれていることといないこととを明確に区分することが大切で
す。
 皆さんは聖書のすべてを、書かれている通りに信じていますか?それは、あなたが聖書を信
じているか否かを分ける決定的に重要なことです。

  

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