「同労者」第81号(2006年7月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (65) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳
 
第7章 救いの確信
「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがた
が永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(ヨハネT5:13)


  救いの確信を持っていない人々が2種類いると思います。
第1は教会の中にはいるが救われていない人、御霊によって生まれていない人であり、
第2は神の御心を進んで行おうとしない人、神が備えてくださった役割を喜んで行おうとせず、
何か別の役目を果たしたい人です。
  クリスチャンは皆救いの確信を持っていますか、と問う人もいるでしょうが、答えはノーです。
神に愛されているクリスチャンの非常に多くが確信を持っていないと思われます。しかし自分自
身の救いを確信を持って知ることはすべての神の子どもに与えられた特権なのです。
  疑いに満ちている人は誰も神に仕えるのにはふさわしくありません。もし自分自身の救いが
確かでないならどうやって他の人が神の国に入る助けをすることが出来るのでしょうか。もし私
自身が溺れそうで岸にたどり着けるかどうかわからない状態にあったら、他の人を救助するこ
となど出来ません。まず私自身がしっかりとした岩の上に乗ってはじめて兄弟に助けの手を差
し伸べることが出来るでしょう。またもし私自身が盲目なのに他の盲人に見る方法を教えたとし
たら、彼は「まず自分が治ってから私に教えなさい」と答えるでしょう。
  最近私はある青年と会いました。彼はクリスチャンですが、まだ罪への勝利を達成していま
せん。彼は非常な暗黒の中にいました。そのような人は神の働きにふさわしくありません。なぜ
なら彼は絶えずつきまとう罪を抱えているからです。罪に打ち勝っていないので、疑いにも打ち
勝つことが出来ないのです。
  自分自身の救いが確実でない人は誰も神のための働きに時間も意欲も持っていません。彼
らは自分の出来る範囲で参加し、自分自身が疑いの重荷を抱えた状態でいるので他の人の
重荷を担ってあげることが出来ません。疑いや不安のあるところには安らぎも喜びも平和も無
く、自由も力もありません。
  さて私たちが警戒しなければならないサタンの手段が3つあるように思います。まずサタンは
私たちをキリストがら引き離すために彼の国中を動き回ります。次に私たちを「疑いの城」に入
れるために腐心します。しかしそれでも私たちがサタンをものともせず神の御子のための澄ん
で響き渡る証しを持つなら、彼は私たちの品格を汚し、証しを偽りとしてしまうために出来る限
りすべてのことをするでしょう。



目次に戻る   表紙に戻る