「同労者」第81号(2006年7月)                          目次に戻る

わかふうふわかもん    − いっしょに学ぼっ!! −
「豊かにまく者は」

仙台聖泉キリスト教会  山田 行 

「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取りま
す。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神
は喜んで与える人を愛してくださいます。」(コリントU9:6〜7)


 今月、我が家で教会の先生方はじめ役員の方々、結婚準備中の青年の方々まで(恒励会)
がいらして集会がもたれました。13人のお客様をお迎えしました。1週間前くらいから、まず食
事は何にしようかな、からはじまって、家具を移動したり掃除をしたり(日頃からちゃんとしてれ
ば・・・と思いながら)どうしよう、どうしようと、あせったりしていました。そんな忙しさや心配に追
われていました。しかし、その当日の朝の祈りの時に、神様は何ともいえない深い感謝の心を
私に導いて下さったのです。教会の命をいつも祈り支えてくださっている方々、今までどれだけ
この方々をとおして私たち家族は、私自身は助けられたかということなど、一つ一つ思い起こさ
れ教えられたのです。我が家に来てくださるということのすばらしさや本当に祝福な、とても幸
いなことだと促されたのです。
 では、精一杯皆さんに喜んでいただけるように、幸いな時がここで感じられるように、また、日
頃の感謝を少しでもお返しできればという気持ちで、準備を始めました。
夜、皆さんがいらしてくださって、本当にくつろいで、楽しそうにお話している姿や「おいしいです
よ!」と言って召し上がってくださる姿は、とてもうれしいものでした。
 日々多くの戦いの中、それぞれの重い責任をもって家庭と、教会を支えて下さっているこの
方々に、少しでも喜んでいただけて良かったなと感謝しました。私の夫を見て思うのですが、お
酒を飲み歩いたり、ギャンブルしたり、世にある友と遊ぶこともしません。いろいろなストレス
や、嫌なことや苦しいことも何で発散するのか?とか何を喜びにして生きているの?と世の中
の人に聞かれます。きっと、いらした方みなさん、そうだと思うのです。しかしどんな時でも、神
を第一において生き続けて戦っている姿は、神の大きな祝福をもたらす道筋を教会にも与えて
いると思うのです。この上記にある御言葉のように、私たちが弱かった時に助けられ、物質的
にも、精神的にも豊かに蒔いてくださいました。どんな時にも教会を愛し支えて喜んで共にいて
くださったのです。私たちも習うものとして豊かに蒔く者に、いやいや、しぶしぶではなく喜んで
という姿勢を持ちながら生きたいと思いました。今度は婦人会の方々いらっしゃってください
ね!



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