「同労者」第82号(2006年8月)                         目次に戻る

巻頭言
− 試練に耐える信仰 − 
仙台聖泉キリスト教会  石井 行雄

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束され
た、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)

 6月に聖書日課でピリピ人への手紙を読んでいたところ、「喜び」ということばが多く書かれて
いるのに気づきました。
 パウロは獄中の身であったにもかかわらず、心は喜びで満たされ、ピリピの教会の人々のこ
とを思い、主にあって喜ぶことを手紙の中で何度も勧めています。
 私もこのところから励ましをいただき、今年も後半に入ったこの時に、誰も避けることのでき
ない試練と苦難を信仰によって乗り越えて行こうという思いを持ちました。
 今は平和な時代ですが、ここ何年かの厳しい社会的、経済的状況を見るとき、その中に生き
る私たちにとって、毎日が試練であると言えますが、あの時のあの事と忘れられない事柄が誰
にでも何度かあるように、私にも仕事に関して二度の大きな出来事が思い浮かんできます。
 詳しいいきさつはここでは省きますが、二度とも常識としては相手である取引先に全額支払
いの責任があったことでした。
 最初は20年位前に、サマーキャンプの分科会でこのことを取り上げられましたが、そこであ
る兄弟が指摘したのは、私が誓約書を取り交わさなかった落ち度でした。そのこともあって、数
年前の二度目の時は、誓約書を交わし、それから裁判になり、相手側に全額支払い命令が下
ったので、今度は回収できると思ったのですが、結果として全くできませんでした。
 最後に弁護士に「法律が人を守るのではないのですね。」と話したら、「法律の守る部分は3
0%で、あとは自分で守るのです。」との返事が返ってきました。
 常識や誓約書や裁判よりも、人と状況を正確に見抜く洞察力と判断力が求められたのです。
私はこの二度の出来事を通して、自分がいかに無知であり、考えの甘い者であるかを思い知
らされました。
 その最中には、パウロのようにこのことで喜びに満たされたたは言えず、起こった事に振り
回され、落胆の方が大きかったのですが、時間が経過し、振り返ってみるとき、学んだことが
多く、私共の会社が支えられてここまでくることができたことを感謝しています。
 世に勝る神からの知恵を与えていただき、御言葉に励まされながら戦っていきたいと願って
います。




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