「同労者」第82号(2006年8月)                          目次に戻る

ショートコラム ねだ  
− ためしてみる? −


 皆さんは、こんな話を知っているだろうか?私のうろ覚えの話なので、中身の真偽のほどは
多少疑わしいが、大筋当たっていればよしとしていただきたい。
 明治時代、脚気(かっけ)の患者が多かった。今では、脚気て何?っと、それが病気の名であ
ることさえ知らない人々が増えているが、当時は結核と並んで日本の二大国民病と呼ばれて
いたらしい。
 時は日清戦争、日本陸軍では、実に戦死者数百人に対して、脚気で死んだもの数千人、日
露戦争では、戦死者5万人弱に対して脚気の死者3万人弱であったとか。3万人も死んだので
は、患者の数はいったどれだけいたことか。そんな病人軍隊でよく戦えたものだ。
 内地に残る国民は、少々まずい米を食っても、兵隊さんにはうまい白米・・銀シャリと呼んで
いたとか・・を食べさせたい、と、これが大方の民意であった。脚気がどうして起こるか分かった
今となっては、それが原因であったとすぐ分かるのだが。
 脚気の原因を突き止めたのは、医者ではなく、鈴木梅太郎という農学者であった。米ぬかか
ら新しい物質を抽出し、アベリ酸(オリザニン)と名付けた。これはビタミンB1そのものであっ
た。世界初のビタミンB1発見であったが、ドイツに出した論文の翻訳に抜け落ちがあって、業
績がみとめられなかったとか。いずれにせよ、これを含んだ食事をすると脚気にならないこと
が分かった。
 オリザニンは、米ぬかの他、押し麦などにも含まれていた。それを聞き知った陸軍では、兵
隊に押し麦の入った飯、つまり麦飯を食わせようとした。軍の食事を決定する人物は軍医総監
で、その時の陸軍軍医総監は文学者として有名な森鴎外であった。鴎外は、医療のことを知ら
ぬ農学者が何を言うか!と、麦飯に変えることを、断固許可しなかったそうな。
 一方、海軍の軍医総監は高木という人物であったが、彼は西洋式の食事をすると脚気が少
ないと分かってきたため、ある軍艦には米食のみ、他のある軍艦に西洋式の麦を含む食事を
とらせ、実験をさせたそうである。結果、西洋式の麦の多い食事をとった艦ではほとんど脚気
患者がでず、米食のみの艦からは多数の患者がでたため、全艦で麦飯を出させたそうであ
る。結果、海軍では脚気患者はほとんどでなかったという。
 文学で有名を馳せた鴎外も、この一件では、失敗者として名を馳せてしまった。彼は試させ
ることさえ思い浮かばなかったのである。
 霊的脚気で信仰の弱っている方はおられるか。本誌同労者に霊的ビタミンB1あり。是非試
してみなされ。試さずに捨てることは、?外の轍を踏んでいるのですぞ!!

註:森鴎外・・オウガイの「おう」の文字が正しく表記できていません。

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