「同労者」第83号(2006年9月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (67) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳

 ヨハネは何と言っているか

  さて御言葉に戻りましょう。使徒ヨハネは福音書の中でキリストがこの地上で私たちのために
何をなさったかを語っています。また書簡の中では主が天において私たちの仲保者として何を
なさっておられるかを語っています。ヨハネの福音書の中では「信じる」という言葉が登場しな
いのはわずか2つの章だけです。その2つの章を除いてヨハネ伝のすべての章で「信じなさ
い。信じなさい。信じなさい」と語られているのです。20章31節で彼は「しかし、これらのことが
書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなた
がたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」と語っています。それがヨハネ
が福音書を書いた目的です。
  一方ヨハネの手紙第1の5章13節を見てみましょう。そこにはこの手紙を書いた目的が語ら
れています。「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは」
彼が誰に宛てて書いたのか注意してください。「神の御子の名を信じているあなたがたに対し
てこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによ
くわからせるためです。」この第1の手紙にはわずか5つの短い章があるだけですが、「知る」
「わかる」という言葉に関連する語が40回以上登場します。ですから「知りなさい。知りなさい。
知りなさい」と語られているのです。この書の鍵は「知りなさい」ということで、手紙全体を通して
繰り返し鳴り響いています。「私たちが永遠のいのちを持っていることを、私たちがよくわかる
ためです」。
  数年前の春に私はミシシッピ川を約2000キロ下りました。毎日、夕方丁度日が沈む頃、川
の両岸の土手に上る男の人たち――時には女の人たちのことも――を見ました。彼らは騾馬
や馬に乗って来たり、時には徒歩だったりしましたが、管理灯に灯りを燈すために来ていたの
でした。そしてこの巨大な川のあらゆるところに、危険な航海の間、操舵士を導くための目印
がありました。今神は私たちに、私たちが神の子かそうでないかを教えるための灯りや目印を
与えておられます。私たちがしなくてはならないことは神が私たちに与えてくださったそれらのし
るしをよく見極めることです。



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