「同労者」第83号(2006年9月)                           目次に戻る

聖書研究

万人祭司・万人予言者・万人王(第9回)
仙台聖泉キリスト教会  野澤 睦雄
 
2.旧約における三つの職務の考察(つづき)
 2.1 祭司(つづき)

 次に祭司・レビ人たちの住む場所はどのようになっていたかみてみましょう。
 祭司とレビ人は相続地を持たないと同時に、住む町もイスラエルの中に散らされて住むよう
に決められました。
「あなたがたが、レビ人に与える町々、すなわち、人を殺した者がそこにのがれるために与え
る六つの、のがれの町と、そのほかに、四十二の町を与えなければならない。あなたがたがレ
ビ人に与える町は、全部で四十八の町で、放牧地つきである。」(民数記35:6〜7)
 祭司・レビ人たちの嗣業は、神ご自身であるという幸いなものでした。彼らはイスラエルの中に
散らされて住み、神の恵みをイスラエルの人々に分け与える役目を担いました。同時にイスラ
エルの人々は、祭司・レビ人を受けいれることによって、神の恵みの業に加わる幸いを得まし
た。
 祭司の町にのがれの町が指定されていますから、すこし触れておきたいと思います。のがれ
の町は、
「人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。ただし、彼に殺意がなく、神が御手
によって事を起こされた場合、わたしはあなたに彼ののがれる場所を指定しよう。」(出エジプト
21:12〜13)
「以前から憎んでいなかった隣人を知らずに殺した殺人者が、そこへ、のがれることのできる
ためである。その者はこれらの町の一つにのがれて、生きのびることができる。」(申命記4:42)
という神の命令で規定されたものでした。
その場所は、ヨルダン川の東に3つ、ヨルダン川の西、約束のカナンの地に3つ定められまし
た。イスラエルの国土はそんなに広くはありません。ですから、のがれの町にすぐ逃げ込め
ば、逃げおおせないということはまずなかったことでしょう。故意にそれを利用しなかった人だ
けが、復讐する人の手にかかったことでしょう。
「それで彼らは、ナフタリの山地にあるガリラヤのケデシュと、エフライムの山地にあるシェケム
と、ユダの山地にあるキルヤテ・アルバ、すなわちヘブロンとを聖別した。エリコのあたりのヨル
ダン川の向こう側、東のほうでは、ルベン部族から、高地の荒野にあるベツェルを、ガドの部
族から、ギルアデのラモテを、マナセ部族から、バシャンのゴランをこれに当てた。」(ヨシュア記
20:7〜8)
あやまって人を殺した人が、のがれの町に逃げ込むためには、次のようにしなければなりませ
んでした。
「人が、これらの町の一つに逃げ込む場合、その者は、その町の門の入口に立ち、その町の
長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは、自分たちの町に彼を受け入れ、
彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む。たとい、血の復讐をする者がその者を追っ
て来ても、殺人者をその手に渡してはならない。彼は知らずに隣人を打ち殺したのであって、
以前からその人を憎んでいたのではないからである。」(ヨシュア記20:4〜5)
 のがれの町に入って後、裁判があり、故意に人を殺したと判定された者は、死刑になりまし
た。
「殺人者は必ず殺されなければならない。血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺しても
よい。彼と出会ったときに、彼を殺してもよい。」(民数記35:18〜19)
「しかし、もし人が自分の隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかり、彼を打って、死なせ、これら
の町の一つにのがれるようなことがあれば、彼の町の長老たちは、人をやって彼をそこから引
き出し、血の復讐をする者の手に渡さなければならない。彼は死ななければならない。彼をあ
われんではならない。罪のない者の血を流す罪は、イスラエルから除き去りなさい。それはあ
なたのためになる。」(申命記19:11〜13)
それ以外の人は大祭司が死ぬまでそこに住み、大祭司の死後、自分の家に帰ることができま
した。
「その者は会衆の前に立ってさばきを受けるまで、あるいは、その時の大祭司が死ぬまで、そ
の町に住まなければならない。それから後、殺人者は、自分の町、自分の家、自分が逃げて
来たその町に帰って行くことができる。」(ヨシュア記20:6)
 こののがれの町の規定は、イエス・キリストの救いを予表するものであると考えられていま
す。私たちはのがれの町であるイエス・キリストの中にのがれることが許されます。イスラエル
の規定では、特定の町、特定の場所でしかありませんでしたが、私たちは、いつでもどこにい
てもイエス・キリストはそばにおられて、私たちののがれの町となって下さいます。私たちが故
意にイエス・キリストにのがれることを拒まなければ、復讐するものすなわち罪に定める律法の
裁きにあうことはありません。
 のがれの町は、家畜を飼うのに適した土地であるからという理由で約束の地、カナンに定住
しなかった人々のためにも設けられました。神の大いなる憐れみの故と理解されています。
 大祭司はもちろんイエス・キリストを予表するものです。ですから、私たちは大祭司イエス・キ
リストの死によって、神の祝福された自分の嗣業の地、「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ
3:20)と記されているとおり、神の国に帰ることができるのです。
 また神は、「故意」と「過失」を区別されることがここに示されています。
 詳述はしませんが、イエスが十字架につけられたことに関し、マッキントッシュは「イスラエル
の人々は神のおどろくべき恵みによって、あやまって人を殺したものとされた」と解説していま
す。(民数記講義p.526以下)(以下次号)


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