「同労者」第84号(2006年10月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (68) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳

 知る価値のある5つのこと

  ヨハネの手紙第1の3章には、知る価値のある5つのことが記されています。
  1つ目は5節に登場します「キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなた
がたは知っています。キリストには何の罪もありません」。 これは人間の業ではなく、主の御業
なのです。主はご自分のこの伝道の使命に失敗なさったでしょうか。ご自身が地上に来られた
目的を果たすことが出来なかったのでしょうか。今までに神から遣わされたどんな人でも失敗
があったでしょうか。まして神ご自身の御子が失敗をなさるでしょうか。「キリストが現われたの
は罪を取り除くためであった」のです。
  19節に知る価値のある2つ目があります「それによって私たちは、自分が真理に属するもの
であることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです」。 私たちは、自分が真理に
属するものであることを知り、そしてもし真理が私たちを自由にするなら、私たちは本当に自由
になるのです。「ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自
由なのです」(ヨハネ8:36)。
  3番目の知る価値のあることは14節にあります「私たちは、自分が死からいのちに移った
ことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです」。 生まれたままの人は神の民を好
みません。またその仲間に入りたがりません。「 (兄弟を)愛さない者は、死のうちにとどまって
いるのです」。そういう人は霊的ないのちを持っていないのです。
  4番目は24節に見られます「神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちに
おられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊に
よって知るのです」。 もし私たちがキリストの御霊――キリストに似た者とされる霊――を所有
するなら、私たちはどのような種類の霊を持っているかを見分けることが出来ます。程度に違
いがあっても、種類は同じなのです。もし私が柔和で、親切で、寛容であるとしたら、また平安
と喜びに満たされた霊を持っているとしたら、そしてもし私が忍耐強く温和であるとしたら――
丁度神の御子のように――それが基準なのです。その方法で私たちが永遠のいのちを持って
いるか否かを見分けることが出来るのです。
  5番目の、そして最も大切なことは「愛する者たち。・・今すでに」というところです。「今すでに」
という言葉に注意してください。それはあなたが死にゆく時とは言っていません。「愛する者た
ち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キ
リストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのと
き、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです」(2節)。



目次に戻る   表紙に戻る