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          「同労者」第84号(2006年10月)
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           次に祭司の職務について考えてみましょう。
           
          
           祭司の職務の中心は、幕屋後には神殿で、儀式を行い、一般の人々が神に近づく助けをす
           
          ることでした。 
           私は、礼拝説教に促されて、神に近づく道を行きたい、そのような人生を送りたいと考え、自
           
          分のできる神に近づく道は教会の集会に出席することであると思いました。そしてそのようにし 始めたとき、救いの恵みに与りました。教会は神の家であり、そこに神がおられました。 
           旧約の時代には、幕屋あるいは神殿が神の家であり、そこで人々は神に近づくことができま
           
          したが、祭司の助けが必要でした。 
          祭司のこの働きは、主にレビ記に書かれています。
           
          
          「その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)とイエスが言われたとおり、そ
           
          れらは新約のイエス・キリストの働きを予表するものです。イエスの働きは、非常に多彩で、一 つのひな形で示せるものではありません。幕屋あるいは神殿もイエスを示し、祭司もイエスを 示していますが、犠牲を中心とする祭儀の供え物もまたイエスを示しています。 
           レビ記を読んでみると、まず1章に「全焼のいけにえ」が示されています。文語訳聖書では
           
          「燔祭(はんさい)」と訳されていました。燔とはあぶり焼くという意味で、祭は礼拝とその供え物 を意味します。 
          2章には「穀物のささげ物」(素祭)が、3章には「和解のいけにえ」(酬恩祭)が、4章には「罪の
           
          ためのいけにえ」(罪祭)が、 
          5章から6章7節までに「罪過のためのいけにえ」(愆祭、けんさい、愆は誤まちの意)が示され
           
          ています。 
          6章8節から7章の終わりまでにこれらのささげものに関する規則が示されています。
           
          
           これらの規定の記されている順序に、目をとめる必要があると考えられます。私たち罪人が
           
          神に受け容れていただくのですから、最初に「罪のためのいけにえ」が必要であり、次に「罪過 のためのいけにえ」、次に「和解のためのいけにえ」そして「全焼のいけにえ」と「穀物のささげ 物」によって礼拝をするという順序となると考えてしまいます。 
           私の個人的な経験には、聖書の記載の方がよく当てはまります。神に近づきたいと申し出ま
           
          したら、先ず教会に受け入れて下さり、新生のいのちが与えられ、神に受け入れられた者とし ていただきました。次に罪が示されて人に対する謝罪に導かれました。 
          (以下次号)
           
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