「同労者」第85号(2006年11月)
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巻頭言
「ダビデは、民を数えて後、良心のとがめを感じた。そこで、ダビデは【主】に言った。『私は、こ
のようなことをして、大きな罪を犯しました。【主】よ。今、あなたのしもべの咎を見のがしてくだ さい。私はほんとうに愚かなことをしました。』」(サムエル記U24:10)
「こうしてダビデは、そこに【主】のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをさ
さげた。【主】が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになっ た。」(サムエル記U24:25)
昨年、世で言われる還暦になりました。自分自身どのようになるか、想像もできませんでし
たが、確実に衰えを知らされることとなりました。昨年の春には老人性白内障で手術を受け、 今年の春の教会キャンプのとき、急に具合が悪くなり、朝日町立病院にいきました。その後、 がんの疑いがあるということで検査入院をしました。幸いにもがんの疑いは晴れましたが、7月 に前立腺肥大の手術をしました。
それまでの私は健康に関してはおおきな自信を持っていました。教会の野球チームのなかで
も若い人たちとともにボールをおいかけバットをふっていましたが、ここにきて自分の衰えを感 じさせられ、またいままでに神様からいただいたおおきな恵みとともに、自らの足りなさにゆえ に刈り取らねばならぬおおきな負い目をも明らかに示されたことでした。
いま仙台教会では講壇からダビデの生涯についての説教がなされています。ダビデは多くの
偉業を成し遂げた王でありましたが晩年はその罪のために失意の日々を送ることになりまし た。しかしダビデは前王サウルが神の命令に背きつづけ自らの命を絶つことになったのに対し て、悔い改めをなし、主のために祭壇を築き礼拝をし、和解のいけにえをささげたのです。神 はそれを良しとされたのです。
ダビデのように神を信頼し、へりくだって神のみ前を歩んで、最後まで全うさせていただきた
いと思います。 |