「同労者」第85号(2006年11月)                           目次に戻る 

三浦綾子読書会

 三浦綾子読書会とは(30) − 
    東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
  今回も前号に引き続き韓国のソウルで行われた「第1回三浦綾子読書会国際大会」につい
て書かせていただこうと思います。
 韓国を代表する牧師である申先生のお力添えをいただくことになり、「ソウル国際大会もこれ
で一安心」と思っていた私に、突然の知らせが届いたのは2006年5月のことでした。知り合い
の韓国人の宣教師の方が私に電話をかけて来て下さったのですが、その宣教師から私が聞
いたのは「申先生召天」という驚くべき知らせでした。
 こうして「ソウル国際大会」は申先生不在で行われることになったのですが、その影響は集会
参加者数に顕著に現れました。
 7月1日のメイン集会の日、申先生が主任牧師としてかつて奉仕をしておられた聖民教会の
礼拝堂(700名収容)には、何と40名程の出席者しか集まらなかったのです。しかもそのほと
んどは日本からの参加者とソウル日本人教会の方々で、聖民教会からはほんのわずかの参
加者があっただけでした。講演会の最後には現在の主任牧師先生の説教もあったため、それ
なりの人数が集まると思っていたのですが、状況は私が予想していなかった最悪の状況でし
た。
 しかし、そんな中でも講師として立てられた森下辰衛氏(三浦綾子読書会顧問、福岡女学院
大学助教授)、宮嶋裕子氏(三浦綾子氏初代秘書)、韓弘信氏(聖民教会担任牧師)と私の4
人は精一杯与えられたメッセージを聴衆に語らせていただきました。
 このように、メイン集会は大変な状況でしたが、その前日に行われた「歴史探訪ツアー」は実
にすばらしいものでした。このツアーでは日本兵が焼き打ちをしたという「堤岩教会」や日本侵
略時代の生々しい様子が展示されている「独立記念館」を見学しましたが、私達の先祖が韓国
の方々に犯した罪の大きさを感じずにはいられませんでした。この大会の課題図書は、三浦
綾子さんの最後の長編小説となった「銃口」という「戦争」を扱った作品でしたが、この作品に
ふさわしいツアーだったと思います。
 今回韓国を訪問し、その後今後の韓国での働きを祈り求めながら、「謝罪と和解」の働きとい
うものを示されています。三浦綾子さんは生前「私が韓国に行ったら、私は地べたを這って歩
かなければならない」とよく言っておられたそうですが、その思いが少しずつわかるようになって
来ました。
 「続氷点」には、殺人者の娘である順子という人物が、自分の父親が殺した子供の母親から
殺人について聞かされた時、川原にひれ伏しながら叫んだ言葉があります。
「わたしをどのようにでもなさってください。わたしの父の罪を、わたしはおわびしたいと思って、
生きて来たのですから」
私自身も「殺人者の子孫」として、その悲しみを受けた人々に「おわびしたいと思って、生きて」
いきたいと願っています。


リンク:三浦綾子読書会 http://miura-ayako.com



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