「同労者」第85号(2006年11月)                          目次に戻る 

論  説

 − 福音経験の大切さ 

「『肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生
まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は・・・、あな
たはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者も
みな、そのとおりです。』ニコデモは答えて言った。『どうして、そのようなことがありうるのでしょ
う。』イエスは答えて言われた。『あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわから
ないのですか。・・』」(ヨハネ3:6〜10)


 この聖書の記事は、教会に来ている皆さんにはお馴染みのことと思います。ニコデモはユダ
ヤ人の議会の議員でした。彼は「人は、老年になっていて、・・」と言いましたが、自分のことを
述べているものと思われます。そして、イエスが言われたように、律法を教える教師でした。彼
は多くのパリサイ人たちのように傲慢ではありませんでした。しかし彼にはイエスの言われるこ
とが理解できなかったのです。このことは、福音に生きようと思う私たちに、大切なヒントを与え
ています。
 聖書は、救われた人々に対して、「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(ルカ3:8)「(御霊
の)実を結びなさい」(ルカ8:15、ヨハネ15:2、15:16、ローマ7:4、コロサイ1:10、テトス3:14、ヘブル12:11)「あな
たがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍
耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがた
に備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役
に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」(ペテロU1:5〜8)と命じています。
 この命令を大切なものと思えるか否かは、その人の価値観によります。もし大切なものと思
っていたなら、その人は、実を結ぶためにペテロの勧めを実行する努力を惜しまないでしょう。
イエスに質問するためやってきたこの時のニコデモに実を結ぶことの大切さを語っても、彼に
は新しく生まれることと同様理解出来なかったことでしょう。理解できないことは身につくはずが
ありませんし、そのような行動をとることもできません。弟子たちでさえも、実を結ぶということ
はイエスと一緒にいた時にではなく、後で分かったことなのです。
 福音にはまず「いのち」の問題があります。それを経験した後には、教えられたことを理解す
ることができ、訓練が身につきます。福音経験は主の牧場の門を通るとき、すなわち新生のい
のちを与えられる時だけにあるのではありません。少し内容が違いますがそれは信仰の歩み
の中で繰り返し与えられます。福音経験と教えと訓練の繰り返しの中に私たちが実を結ぶ道
があります。
 福音経験を大切にしましょう。それによってクリスチャンに相応しい価値観を持ち主の教えと
訓練に身を渡すことができます。そこにのみクリスチャンの飛躍があります。


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