「同労者」第86号(2006年12月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (70) 
D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳

 全き赦し

  クリスチャンの過去の罪は告白した時にすぐに赦され、二度と言及されることはありません。
それは再び取り上げられることの無い議題なのです。もし私たちの罪が放棄されたなら、それ
でおしまいなのです。それらの罪は二度と思い出されることは無いし、神もそれ以上追求なさ
いません。これはとても明確なことです。
  例えば私に息子がいて、私が留守の間に悪いことをしたとしましょう。私が家に帰った時、彼
は私の首に抱き着いて「お父さん、僕はお父さんがしてはいけないと言っていたことをしてしま
いました。本当にごめんなさい。どうか赦してください」と言ったとすると、私は「わかった。赦す
よ」と言って彼にキスをするでしょう。息子は涙を拭いて、喜んで飛び出して行くでしょう。しかし
次の日彼が「お父さん、昨日僕がした悪いことを赦してほしいんです」と言ったとしたら、私は
「なぜだい。そのことはもう解決したから、お父さんはもうその話しはしたくないな」と言うでしょ
う。それでも彼が「でも僕は赦してほしいんです。お父さんが『赦すよ』と言ってくれたら僕は楽
になります」と言ったとしたら、これは私を尊重していることになるでしょうか。息子が私の赦し
たのを信じないことで、悲しむことにはならないでしょうか。しかし彼を満足させるために私は再
び言います「お父さんはおまえを赦すよ」と。しかしもしその次の日も、彼がその古い罪を持ち
出して、また赦しを請うたとしたら、私は深く悲しまないでしょうか。ですから皆さん、もし神が私
たちを赦してくださったら、決して過去には言及しないようにしましょう。後ろにあるそれらのこと
を忘れて、前にあるものに手を伸ばして行きましょう。そしてキリスト・イエスにあって、神が高く
召してくださる栄冠を目標に押し進みましょう。過去の罪を捨て去りましょう。なぜなら「もし、私
たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪
から私たちをきよめてくださいます」(ヨハネT1:9)から。
  この原則は裁判所でも認められていることを言っておきましょう。ある人が彼の妻とトラブル
を抱えていてそこの国の――場所は言わないでおきます――法廷で裁判が起こりました。しか
し彼は妻を赦しており、その後で彼女を法廷に連れて来たのでした。そして彼が妻を赦したこと
が明らかになると、裁判官はその問題は解決したと言いました。その裁判官は、罪は一度赦さ
れたらそれで終わりであるという原則は、確かなものであると認めたのです。さて、全世界の裁
判官であられる方が私たちを赦してくださり、さらにもう一度裁判をお開きになるということがあ
るでしょうか。もし神が私たちの罪を赦してくださるなら、それは永遠に消え去るのです。私たち
がしなければならないのは罪を告白し、捨て去ることなのです。
 



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