「同労者」第86号(2006年12月)
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全き赦し
クリスチャンの過去の罪は告白した時にすぐに赦され、二度と言及されることはありません。
それは再び取り上げられることの無い議題なのです。もし私たちの罪が放棄されたなら、それ でおしまいなのです。それらの罪は二度と思い出されることは無いし、神もそれ以上追求なさ いません。これはとても明確なことです。
例えば私に息子がいて、私が留守の間に悪いことをしたとしましょう。私が家に帰った時、彼
は私の首に抱き着いて「お父さん、僕はお父さんがしてはいけないと言っていたことをしてしま いました。本当にごめんなさい。どうか赦してください」と言ったとすると、私は「わかった。赦す よ」と言って彼にキスをするでしょう。息子は涙を拭いて、喜んで飛び出して行くでしょう。しかし 次の日彼が「お父さん、昨日僕がした悪いことを赦してほしいんです」と言ったとしたら、私は 「なぜだい。そのことはもう解決したから、お父さんはもうその話しはしたくないな」と言うでしょ う。それでも彼が「でも僕は赦してほしいんです。お父さんが『赦すよ』と言ってくれたら僕は楽 になります」と言ったとしたら、これは私を尊重していることになるでしょうか。息子が私の赦し たのを信じないことで、悲しむことにはならないでしょうか。しかし彼を満足させるために私は再 び言います「お父さんはおまえを赦すよ」と。しかしもしその次の日も、彼がその古い罪を持ち 出して、また赦しを請うたとしたら、私は深く悲しまないでしょうか。ですから皆さん、もし神が私 たちを赦してくださったら、決して過去には言及しないようにしましょう。後ろにあるそれらのこと を忘れて、前にあるものに手を伸ばして行きましょう。そしてキリスト・イエスにあって、神が高く 召してくださる栄冠を目標に押し進みましょう。過去の罪を捨て去りましょう。なぜなら「もし、私 たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪 から私たちをきよめてくださいます」(ヨハネT1:9)から。
この原則は裁判所でも認められていることを言っておきましょう。ある人が彼の妻とトラブル
を抱えていてそこの国の――場所は言わないでおきます――法廷で裁判が起こりました。しか し彼は妻を赦しており、その後で彼女を法廷に連れて来たのでした。そして彼が妻を赦したこと が明らかになると、裁判官はその問題は解決したと言いました。その裁判官は、罪は一度赦さ れたらそれで終わりであるという原則は、確かなものであると認めたのです。さて、全世界の裁 判官であられる方が私たちを赦してくださり、さらにもう一度裁判をお開きになるということがあ るでしょうか。もし神が私たちの罪を赦してくださるなら、それは永遠に消え去るのです。私たち がしなければならないのは罪を告白し、捨て去ることなのです。 |