「同労者」第86号(2006年12月)                          目次に戻る

わかもん

「思い煩い人生」
仙台聖泉キリスト教会  山田 行

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがた
の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7)


  私は聖書を読むたびに、自分の心や生活、信仰が本当に御言葉からかけ離れていて、が
っかりすることがしばしばあります。と同じようにまた、励まされて、「こんな私ですが、神様見捨
てないで下さい。」と祈るのです。
 特に、上に書きました、御言葉の「思い煩うな」というすすめは、何度もペテロ、パウロによっ
て繰り返されています。
 私自身もそうですが、多くの人々は、食べること、住むこと、金銭や家族、健康、仕事、老後
などありとあらゆることに、心が多くの方向に分裂し、心配をするのです。
心は乱れ、落ち着きを失い、平静でいられなくなります。イライラし、クヨクヨして、自分のことで
精一杯、他人のことなど無関心、冷淡になりがちです。信仰者と言いつつも神との交わりなど
もどんどんできなくなってしまいます。
 私は、周りの人達に、「のんきで、あまり気にしなく、落ち着いている。」と言われたことがあり
ます。きっとのんきで、物事に対してあまり細かく気にしないい様に見えるのでしょうが、自分自
身では、気が小さくて心配性で、もろい、弱さを充分知っているわけであります。一番そばにい
る夫もよく分かっているので、私の心配性が出てくると、話を聞いてくれます。話すというのは時
にとても良い働きをします。自分の気持ちを言葉に表していくと整理ができたり相手が共感して
くれたりすると、不思議と気持ちが楽になったり、時には自分とは違う意見を聞いたりすれば、
凝り固まっていた考えがやわらかくなる事もあるのです。しかし、問題なのはすべて夫や、周り
の人達に話せば必ず解決するということはないということです。やはり、私が一番大切にしなく
てはいけないことは、「神に祈る」ことです。御言葉のように願い事を神に知っていただくため
に、ひれ伏して、謙遜に言葉にして口に出して時間を捧げて祈り続ける大切さを感じました。ま
た、神の人である教会の先生に共に祈って導いていただくことです。
 先生に話すことは時に恥ずかしかったり、話すほど大した問題ではないかとか、煩わせては
申し訳ないとか・・また、ここで思い煩っている自分もいるのですが・・・まずは一歩踏み出して
みることが必要です。心が乱れている状態を長引かせることは、家族をも巻き込み、教会を巻
き込み、取り返しが付かなくなる事がないように気をつけなくてはいけません。ここまで助けてく
ださった神に、ここまで導いてくださった神に感謝を捧げることによって私はもう一度思い煩い
を委ねて、平安を与えられ立ち上がっていくものでありたいと願います。
 今年も沢山の恵みが数えられないほど与えられました。こんなに豊かな哀れみ深い神に、す
ぐに思い煩いの祈りを捧げてしまうような私ですが、最後まで忠実なしもべとして使えさせえて
いただきたいと思いました。皆さんも豊かな祝福と感謝で締めくくるときでありますように祈りま
す。一年間ありがとうございました。




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