「同労者」第87号(2007年1月)
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![]() も、「キリストの香りを放つように」と、聖書の中から父がつけてくれました。 幼い頃から、日曜日に教会に行くことは当たり前、この世界を造った神様がいることも当たり 前、そしてその神様が私たちを愛して下さって、イエス様をこの世に送り、わたしの罪のために 十字架で死んで3日目に復活されたことを当たり前のように信じ、受け入れていました。しか し、私がはっきりと神様を信じ、自分の口で「イエスを主」と告白したのは、小学校4年生の頃 のことです。夏休みのキャンプに参加し、イエス様が私の罪のためにあのむごい「十字架」に かかって下さり、死んで下さったことを生々しく聞かされ、涙を流しながら自分の罪を悔い改め ました。そしてその年のクリスマスにバプテスマを受けました。そのときから私は、「このイエス 様に一生、ついて行こう。自分を捧げていこう」と決めました。 ![]() した。その中でも、一番影響を受けたのは、幼い頃から行っていた教会で聴く「教会音楽」(讃 美歌)の影響が強かったと、今振り返ると思います。気づけばその頃の私の取り柄といえば、 「音楽」でした。高校進学にあたり、自分が「やりたいこと」を考えたら、やはり「音楽」でした。そ して音楽科のある高校・大学へ進み、声楽を専攻してきました。でも、その「やりたいこと」であ ったはずの音楽、特に、「歌うこと」が、あるとき、「やめたい」と思う出来事がありました。それ は、大学2年生の時のことです。私の師事していた歌の先生が、とても厳しい先生で、 ![]() どんなに注意されても上手くできず、しまいには、私の存在自体までも否定するようなひどい言 葉を言われ、言葉だけではない暴力も受けました。そのため、私は何のために歌っているの かわからなくなり、音を楽しむ音楽どころか、とても苦しく、辛いものへと変わってしまいました。 こんなに辛いものならやめたいとまで思ってしまいました。 しかし、そんな中でも唯一の慰めであり、癒しとなったのは、やはり、教会の音楽と讃美歌でし た。歌のレッスンを受けることは本当に苦痛でしたが、神様を賛美し歌うことは本当に大好き で、賛美することによってその苦痛は癒されました。いろいろな事を考えていくうちに、私が神 様を賛美できることも、その喜びを知ることができるのも、すべては神様に生かされていること だということがわかりました。私がそれまで続けてきた音楽も、私が得意なのではなく、神様が 与えてくださった賜物なのだとわかりました。私の物ではなく、神様が私に与えて下さって、預 けられたものだということを。 それを知ったときから私は、レッスンで先生の思い通りに歌わされるのではなく、本当に賛美と 栄光を受けるにふさわしい神様のために歌っていきたい!という思いに変えられました。そし て、神様が与えて下さったこの素晴らしい「音楽」という賜物を通して、神様に仕えていきたい、 という志が与えられ、現在は神学校で教会音楽の勉強をしています。 私がこのような思いに変えられるために、その辛い経験も与えてくださった神様に感謝してい ます。その素晴らしい神様の栄光が表されるよう、主の御名がほめたたえられるように、これ からも神様を賛美し続けていきたいです。ハレルヤ!! (保守バプテスト同盟・八木山聖書バプテスト教会 会員、神学生・・東京バプテスト神学校在 学中。写真は、12月9日の世の光みやぎクリスマスから。) ![]() |