「同労者」第87号(2007年1月)                           目次に戻る

聖書研究

万人祭司・万人予言者・万人王(第13回)
野澤 睦雄
 
2.旧約における三つの職務の考察(つづき)
 2.1 祭司(つづき)

 祭司の役目は人々を神に近づけ、神に受け入れられたものとすることであって、その中心は
レビ記のはじめの数章に規定されている祭儀を行うことにありますから、その内容をよく学んで
おくことが大切です。人を神に近づけ、神に受け入れられたものとする力をもっているものは、
ただイエス・キリストのみなのですから、これらはすべてイエス・キリストとその働きを表している
のです。
 前回は1章の「全焼のいけにえ」について学びました。今回は2章の「穀物のささげ物」につい
て学んでみましょう。
 まず2章全体についていうならば、他の章とは異なって、血がまったく流されていません。です
からここでは、生けるキリストが示されています。
 規定に従って、パンの材料である小麦粉、焼いたパン、あるいはせんべい、平なべでやいた
穀物の食べ物、なべで作った穀物の食べ物が供えられました。
「人が【主】に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。」(レビ2:
1)
「あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、それは油を混ぜた小麦粉の、種
を入れない輪型のパン、あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。」
(レビ2:4)
「また、もしあなたのささげ物が、平なべの上で焼いた穀物のささげ物であれば、それは油を混
ぜた小麦粉の、種を入れないものでなければならない。」(レビ2:5)
「また、もしあなたのささげ物が、なべで作った穀物のささげ物であれば、それは油を混ぜた小
麦粉で作らなければならない。」(レビ2:7)
 これらはすべて小麦粉で作られました。
 そして乳香(2:1)と油(2:2)と塩(2:13)が添えられました。これは聖霊によって油注がれたイエス
を表していることはいうまでもありません。イエスは、「あなたがたは、地の塩です。」(マタイ5:13)
と言われ、イエスに属する人々はイエスのいのちに与り、この世の腐敗を防ぐものとなることが
示されています。
 そして「パン種」は決して入れてはなりませんでした。イエス自ら弟子達に、パン種の意味はこ
の世の「教え」(マタイ16:12)であることを教えておられます。この世の教えに従って生きるのでは
なく、いのちのパンであられるキリストによって私たちは生きるのです。
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリスト
はいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル7:25) 「穀物のさ
さげもの」であられるキリストは、常に生きておられる方であって、私たちにいのちのパンをお
与えになり、神に近づくことを得させてくださいます。
 このささげ物は、神に対して「記念」(レビ2:2)とするほんのひとつかみだけが神のものとなり、
残りは祭司のものとなりました。
 イエス・キリストは、
「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はど
んなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネ6:35)
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きま
す。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:51)
と言われました。ですから、生けるイエス・キリストに与る私たちは、飢えることなく、渇くことな
く、永遠のいのちに与るのです。
 小麦で表されるイエスは、ご自身でこう言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それ
は一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)
父なる神の前に「記念」されるイエス・キリストがここにおられます。
 旧約の祭司は、祭儀を行えばそれで終わりでしたが、新約の祭司である私たちは、イエスの
足跡を歩んで自らも一粒の麦となり、神に記念されることを求められております。(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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