「同労者」第87号(2007年1月)                          目次に戻る

わかもん

レプタ銅貨をささげたやもめ
山田 行

 今年も数えられないほどの沢山の恵みを頂いて深く神様に感謝します。私自身は、神様にど
れくらいの感謝のお返しができたかというとそれはそれは本当に小さなものであります。 
 教会の中で、私に与えられた奉仕や御用は沢山ありました。それは人に見られたり聞かれ
たりするものも多くありました。取るに足らないことが多いのですが自分なりに一生懸命取り組
んでこれたことは感謝です。しかし私は聖書の中に出てくる貧しいやもめが自分のもっている
全てのレプタ銅貨二つを献金箱に捧げた記事を良く思い出すのです。それを見ていたイエス様
が弟子達に、「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたく
さん投げ入れました。・・・・」(ルカ21:3)と言われました。
 その時代の貧しさや、やもめとしての生活は本当に苦しく大変なものであったことと思いま
す。しかし、彼女はその苦しい中にあっても支えてくださった神様にすべてを投げ入れた溢れる
感謝がそこにあったのだと思います。それをイエス様は彼女の外側に見える行為を見ておら
れただけでなく、外には見えない内側の彼女の行為の動機や心根までも見通されていたこと
が良く分かります。そしてその行為に感動されて「みなはあり余る中から献金を投げ入れたの
に、この女は、乏しい中から持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」(ルカ21:4)と称
賛してくださったのです。このやもめの記事はルカとマルコによって福音書に納められました。
多くの人々の心に残り感動を今も尚与え続けるのです。
 神様は、万物を創造し支配していらして私たちの捧げ物などに関わりなくみこころのままにな
さることのおできになる方ですが、人が神様にお返しをする機会を与えてくださっています。そ
の心根が人の目があるから頑張っているのかもしくは見えない小さな手の中に隠された時にこ
そ私たちの本音の神様への感謝があらわれるのではないかなと思うのです。私自身この女の
立場であったらどうしているでしょうか。貧しさと苦しさをどうにかしてください、そうすれば献金
も捧げられるのです。などといって2枚のレプタの1枚しか捧げなかったでしょう。もう一枚は自
分のためにとっておくことを考えたに違いありません。しかし神様は、このような私の罪のため
に御子イエス様を十字架につけて罪から赦してくださいました。このすばらしい代価を、一方的
な哀れみと愛に対してただただひれ伏して感謝しかないのです。私は自分の何をもこばまず差
し出し捧げさせていただきたいと願うものです。この人生を神様に喜んで頂くことができるよう
に、真の礼拝者として歩んで生きたいと願っています。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 



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