「同労者」第88号(2007年2月)                           目次に戻る

聖書研究

万人祭司・万人予言者・万人王(第14回)
野澤 睦雄
 
2.旧約における三つの職務の考察(つづき)
 2.1 祭司(つづき)

 祭司の職務についてレビ記1章から全焼のいけにえについて、2章から穀物のささげ物につ
いて学びました。つづいて今回は、3章に記されている「和解のいけにえ」について学びましょ
う。
「もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のない
ものを【主】の前にささげなければならない。
 その人はささげ物の頭に手を置く。それは会見の天幕の入口の所でほふられる。そして、祭
司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。
 次に、その人は和解のいけにえのうちから、【主】への火によるささげ物として、その内臓をお
おう脂肪と、内臓についている脂肪全部、
 二つの腎臓と、それについていて腰のあたりにある脂肪、さらに腎臓といっしょに取り除いた
肝臓の上の小葉とをささげなさい。
 そこで、アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上のたきぎの上にある全焼のいけにえに
載せて、焼いて煙にしなさい。これは【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」(レ
ビ記3:1〜5)
 「和解をする」のは、当事者がひとりの問題ではなく、ふたり以上の間のことです。人が他の
人と和解をするのであれば、ふたりともそこに出てこなければなりません。ところが、このレビ
記3章には、当事者としてささげる人しかでてきません。あとはささげる手助けをするアロンの
子らである祭司だけです。
 ですから、このささげる人が和解をする第二の当事者は、主、神ご自身に他なりません。
 罪を犯すということは、聖であり愛であり義である神のご意志に反抗し、神に敵対することで
す。ですから、人は罪から離れるとき、神と和解することを許されます。その和解もまたキリスト
の贖いによるのであることがここに示されているのです。
 新約聖書には、神と和解しなさいというご命令があります。
「神の和解を受け入れなさい。」(コリントU5:20)
 そしてその和解が実現するのは十字架によることが示されていて、レビ記の3章と対応して
います。
「また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字
架によって葬り去られました。」(エペソ2:16)
「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださ
ったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、
今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解さ
せてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前
に立たせてくださるためでした。」(コロサイ3:20〜22)
 そして和解によって神との平和が与えられます。
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神と
の平和を持っています。」(ローマ5:1)
 神と和解した者は、神を喜びます。
「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私た
ちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私た
ちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは
神を大いに喜んでいるのです。」(ローマ5:10〜11)
 神と和解した者たちは、新約の祭司として、まだ神との和解を得ていない人々に派遣されま
す。
「これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和
解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、
この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たち
にゆだねられたのです。 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私た
ちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。
神の和解を受け入れなさい。 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。そ
れは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(コリントU5:18〜21)
 
 神との和解の使者となることは新約の祭司の重要な使命であり、大きな特権です。私たちは
その使命に励まさせていただきたいものです。
(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会 会員)


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