「同労者」第88号(2007年2月)
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新しい年に入りました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
私の職場には20才代の女の子がほとんどで昼休みは、いつも?男性についての話がよくあ
ります。そのなかで、いろいろと好みの話になるのですが、何だかんだいってもやはり、みんな 口をそろえて言うことは、「優しい人」が良いようです。もちろん私も主人の優しいところが大好 きです?優しい?あまりにも漠然とした言葉ですので分かるようで、分からないものです。優し い人とは人間関係を築くときにどのような時に感じるのでしょうか?人は毎日何かを求め何か を避けて行動しています。人と接触した時に自分の求めや避けていることをわかって、それを 満たすような行動をとってくれた時に、「何て優しい、思いやりがある人だろう」と感じるのでは ないでしょうか。だから、相手が何を言ってほしいか、また何を言ってほしくないかという相手の ニーズ(要求)が分からない人は「優しさがない」といわれがちになります。
子育てをしていて、子供が喜んでくれるかなと勝手に思い込んでしてあげたことに、子供たち
の反応が悪いと、「お母さんがどれほど苦労してやってあげたのに」とがっかりさせられること が良くあります。「何で分かってくれないの?」と怒ってしまうこともあるのです。子供たちは大変 です彼らのニーズにあっていなくても「母の愛」といわれて押し付けられることになるわけですか ら・・・
このように人を愛すること、優しくしてあげることは本当に大変なことです。面倒くさがりの私
のような人は、「もういいや」とすぐにあきらめてしまうこともあります。しかし聖書の中に「私た ちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。」(ローマ 15:2)と語られています。
自分には、優しい人がいてくれたらと求めるのに自分が隣人の優しい人になってあげたいと
は思わない現実が、知らず知らずに人間関係の中に忍びやかにはびこっています。「私のニ ーズに答えて」と主張しますが、私たちは周りの人達の悲しみや心配事、何を恐れているのか を知ろうともせずに無関心の罪に陥っていないか問うてみなくてはいけません。そして隣人の 一番良いことのために助けになりたいものです。大事なことはよく気をつけてよく話をきいてあ げて、していることを見ていてあげることだと思います。
「優しい人」という言葉がほしいのではありません。すべては神が私たちのニーズをいつも知
ってそれに一番良いものを与えてくださったように神の愛を隣人に伝えるために働くことにつな がると思うからです。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)
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