「同労者」第89号(2007年3月)
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巻頭言
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるので
す。」(ピリピ2:13)
今年与えられた御言葉です。
この年も、目標、課題が与えられてスタートしました。早いものでもう2ヶ月になりますが、祈り
の課題は去年からひき続き祈りながら歩ませていだだいているものがいくつかあります。日常 の生活の中で社会に出て働く時間がありますが、家庭の中では家族と接する時間があり、特 に多くを共に過ごすのは子供達です。祈りの課題には子供達のことが多く、取り組みをしていく ことが求められています。毎日が取り組みであって、祈らさせられます。私たちの教会の礼拝 のメッセージの中で、「責任」ということが語られました。その中で、責任は『神様からの召しとし て与えられるもの、また生きる中で与えられるもの、そして育成されていく。』ということが私に 示されました。
私は親としての責任を与えられていることに感謝しました。私たちは子供達が神様の前に自
分の罪を認め、そのためにイエス様が十字架にかかられ、その血のあがないに与るということ を信じて私たちと共に歩むクリスチャンになって欲しいと願います。その願いによって課題が与 えられ、取り組みをさせていただいているのですが、私のようなものにも神様が求めていらっし ゃることを感謝しつつ、大きなおそれをもって歩ませていただきたいと思います。
家庭の中での働きの他に教会の中においても、私の働きどころが与えられています。そのひ
とつが教会学校の教師です。私は高校生、大学生の方々のいる青年科を担当させていただい ています。私の他に二人の先生がいらっしゃいますが、私は最初このクラスの担当になりまし た時、私に何ができるのかしらという不安でいっぱいでした。今でも私にできることは何かしら というてさぐりをする日々です。高校生、大学生の方々はりっぱな大人になってきています。で もその片方では、たくさんの悩みやわからないこと、若さゆえの勢いや考え方などがあります。 私は今でも何か専門的な勉強をしてきていたわけでもなく、知識もありません。でも任務が与え られた時に、私は「神様のみこころは何だろう?」と問いかけながら、祈り、まず「させていだだ こう」という思いからスタートしました。そして今では彼らの救いのために祈りながら教会学校の 中で行う学びのための準備をしていきます。私のとって自らの子が神様と共に歩むことを願っ ているのと同様に、彼らにも自らの子と同じ思いで祈ることができます。彼らに対しては接する 時間も少なく、我が子のような教育というものではありませんが、また違った立場から与えられ た教会学校教師としての責任を神様が私に求めていらっしゃるということを信じ、確信してその 営みをさせていただきたいと思っています。前にも述べましたが私のような小さなものにも、神 様が期待していてくださる中で、私に励ましをくださり、恵みを与えてくださいます。それぞれの 思いをそのところに置く時に、おそれをもって任を果たさせていただきたいと願っています。そ して神様が最善をもって導いてくださることを信じています。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)
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