「同労者」第89号(2007年3月)
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子供の頃、母がよく使ったことばに、ミシンとか編み機などの機械を「だましだまし」使うという
のがあった。機械も母に騙されるらしい。古くなってあちこちすり減った機械もベテランのいうこ とはきくということか。
職場のパソコン、同僚がつかうとそのパソコンがへそを曲げていうことをきかなくなり、どれど
れっと私が使うとすんなり動く・・っということが頻繁にあった。いったいどうなっているんでしょう ね。犬や猫じゃあるまいに、人によって言うことをきいたりきかなかったりするとはねえ。
戦後まもなくの頃、石油発動機なるものが各所で使われていた。工場の機械は幅の広いベ
ルト駆動で、中央の径が両端よりすこし大きい円筒プーリーの列があり、ベルトを掛ける位置 で機械の速度が変わるという仕組みだった。その動力はたいてい石油発動機だった。田畑の ポンプ、耕耘機、小型の船舶の動力としてなどなど、その活躍ぶりはたいしたものだった。
だが時代は変わり、ガソリンエンジン、ジーゼルエンジン、電動機の登場で、発動機は姿を
消していった。いまでは、肩からベルトでつって草をかる草刈り機、木を切るために使う電動 鋸、大工道具のはてまで電気かガソリンエンジンである。
先日、おじさんたちの趣味として、古い発動機を動かす・・という内容がテレビで放送されてい
た。
かつて活躍していた発動機も、ただ自分が動くだけ、それがおじさんたちの趣味になっている
のである。
おじさんたち、古い古い発動機を「だましだまし」動かすのである。不慣れな人物が、動かそう
としても、ぷすんぷすん、というだけで止まってしまうが、慣れたひとが始動させると、ぽんぽん ぽん、という音をたてて回転をはじめる。それがこのおじさんたち趣味の原動力である。
もし機械さえもだまされるのだとすれば、人間の世界に応用すれば、これまたきっと有効であ
ろうかと思われる。
福音には「真実さ」が必要である。だから、だましだましという感覚は福音にはそぐわない。し
かし、福音を用いる段ともなれば、知恵が必要である。これはその知恵の片隅に置かれること かも知れない。それは、愛による工夫、「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこと もない、・・」(マタイ12:20)ということであるなら、歓迎されるべきことであろう。
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