「同労者」第89号(2007年3月)
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確信についてのパウロの教え
もう一つの事実に注目していただきたいと思います。パウロのほとんど全ての書簡における
あらゆる教えに確信の教理が浸透しています。コリント人への手紙第二5章1節で彼は「私た ちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知ってい ます。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です」と書いています。彼は天の住いの 所有権を持っており、そのことを「知っています」と語っています。彼は半信半疑な生き方はしま せんでした。彼は「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです」(ピリピ1:23)と言ってい ます。もし彼が半信半疑であったなら、そのようなことは言わなかったでしょう。コロサイ人への 手紙3章4節で彼は「私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリ ストとともに、栄光のうちに現われます」と付け加えています。ワット博士の墓標にもこの同じ聖 句が掲げられていると聞きました。そこには疑いというものがないのです。
それではコロサイ人への手紙1章12節を開いてみましょう「また、光の中にある、聖徒の相
続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげること ができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に 移してくださいました」。そこには「私たちに与えてくださった」「私たちを・・・救い出して」「(私た ちを)移してくださいました」と3つの完了形があります。それは「与えようとしておられる」とか 「救い出そうとしておられる」とか「移そうとしておられる」とは言っていません。 さらに14節に は「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています」とあります。私 たちは赦されている者でも、そうでなくても、私たちそれぞれが、天を見上げて「私たちの住ま いである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。そ れは、人の手によらない、天にある永遠の家です」(コリントU 5:1)と言えるようになるまでは、休 息を得るべきではありません。
(訳者:仙台聖泉キリスト教会 会員)
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