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          「同労者」第89号(2007年3月)
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           次に、今回はレビ記4章から5章の始めにかけて記されている「罪のためのいけにえ」につい
           
          て学びましょう。 
           「もし人が、【主】がするなと命じたすべてについてあやまって罪を犯し、その一つでも行った
           
          場合」(レビ記4:2)について、次のように区分されて、捧げるいけにえの規定が定められていま す。 
          「もし油そそがれた祭司が罪を犯し、民が咎を覚えるなら」(4:3)
           
          
          「イスラエルの全会衆があやまっていて、あることが集団の目から隠れ、【主】がするなと命じた
           
          すべてのうち一つでも行い、後で咎を覚える場合」(4:14) 
          「上に立つ者が罪を犯し、その神、【主】がするなと命じたすべてのうち一つでもあやまって行
           
          い、後で咎を覚える場合」(4:22) 
           祭司の罪のためのいけにえは「傷のない若い雄牛」(4:3)でなければなりませんでした。そして
           
          その犠牲の血は、聖所の垂れ幕の前と香を焚く壇の角と全焼のいけにえの祭壇の3カ所に注 がれました。 
          「【主】の前、すなわち聖所の垂れ幕の前に、その血を七たび振りかけなさい。」(4:6)「祭司はそ
           
          の血を、会見の天幕の中にある【主】の前のかおりの高い香の祭壇の角に塗りなさい。」(4:7) 「会見の天幕の入口にある全焼のいけにえの祭壇の土台に注がなければならない。」(4:7) 
           聖所の垂れ幕は、神のおられる至聖所の前にありました。垂れ幕の前に血をそそぐことは、
           
          神がその血を通して近づいてくる者をご覧になることを意味します。 
           香の壇は祈りを聞かれる所でした。ですから、香の壇の角に血を塗ることは、神がその血を
           
          通して祈りを聞かれるためです。 
           全焼のいけにえは礼拝を意味しました。ですからその祭壇の土台に血を注ぐことは、そこに
           
          近づく者の良心をきよめ、神を拝することをお許しになるためです。 
           罪のためのいけにえの雄牛の脂肪は、腎臓など一部の臓器と共に全焼のいけにえの祭壇
           
          の上で焼かれましたが、皮と、肉の全部、頭と足、内臓と汚物、その雄牛の全部が灰捨て場に 運び出され、そこで焼かれました。ヘブル人への手紙の記者は、 
          「動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、
           
          からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるも のとするために、門の外で苦しみを受けられました。」(ヘブル13:11〜12) と記してこれが、イエ ス・キリストの働きを示すことを明らかにしています。(以下次号) 
          (仙台聖泉キリスト教会会員)
           
          
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