「同労者」第89号(2007年3月)                          目次に戻る

わかもん

生かされてこそ
山田 行

 今月は母が入院し手術をするということがありました。「お産の時以来の入院なのよ」とにこ
やかに言いながら、しかし、ふと不安げな顔をみせた母が少々小さく見えたのでした。そのとた
ん私は急に何ともいえない不安に心がいっぱいになりました。母ももう若くはありませんし何か
あったら・・・と。
 手術は成功しました。けれども術後の具合が悪くとても痛がったので心配しました。はじめ痛
みの原因が分からないと医者に言われて益々不安になりました。母の痛がる顔をそばで見て
いることしかできなくて泣きたくなりました。もちろん神に祈ることがわたしのできる最高の仕事
ですので祈り続けました。その最中、頭の中に浮かぶことは、神の御用に立ち続けた姿や母
の祈りの言葉などでした。母の人生すべては、神に捧げたものだから、神の御心がなされるこ
とが一番の母の幸いなのだと自分に言い聞かせながらひたすら祈り続けました。
「生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現されることを・・・」
(ピリピ1:20)この御言葉が母の信仰生活であると思いました。いつも家族のこと教会の方々の
ことを祈り、励まし、神が生きて働いてくださるという証をしつづけています。私もこの歳になっ
ても母に励まされ助けられ慰めてもらっているのです。それが母の当たり前のような姿と感じて
いた私は、このことをとおして何て幸いな器を私のそばにおいてくださっているのだろうと感謝
が溢れました。感謝な事に神は多くの祈りを聞いてくださり、今ではもう普通どおりの生活にな
りました。
 母はこの出来事をとおして「病の中にある人達の気持ちが少しでもわかることができて幸い
よ。私がその人達を少しは慰めていたと思っていたけれど、ぜんぜん足りなかったということが
分かった。」と言っていました。また母も生かされてこそ神のすばらしさと愛を伝える大切な御
用に戻ることができたのです。私も母のような信仰生活を歩みたいと切に願いました。それか
らこの入院で私の仕事場から病院が近かったこともあり毎日のように夕方二人だけで母と話
すことができたことは本当に嬉しいものでした。結婚して慌ただしい日々、近くにいるとはいえ
ゆっくり話す機会があまりになかったので久しぶりに「あ〜この人は私の母なんだ(笑)」としみ
じみ感じた時でした。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)



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