「同労者」第90号(2007年4月)                         目次に戻る

巻頭言
− 神との出会い − 
斎藤 優子

「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんと
うに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタ
イ13:23)


 この春、長男が高校を無事に終えて卒業することができたことを心から感謝しています。中・
高一貫された教育の中で、彼は何を身につけ、何を感じ、何に目を留めてきたのか考えさせら
れます。神様から与えて頂いた環境の中に親自身も支えられ、ゆだねてきたこの6年間でし
た。
 私たちが住んでいる所は新興住宅地で、殆どの親が教育熱心で、生活にもある一定のもの
をもっているという恵まれた中にあって、わざわざ私立中に出さなくてもまにあう位のものをもっ
ている所です。そんな周囲に囲まれながらも私立中学に通わせましたのは、その中学が教会
に近かったこと、キリスト教の教えにもとづいた環境があるということを考え、先生とご相談させ
て頂いて、この導きにゆだねさせて頂いたためです。
 本人も中学受験、小学校から唯一人という友達もいない所からスタートしましたので、たくさん
の不安もあったことと思いますが、親としてはどこもでも信仰の中にこの子供を置かせて頂き
ました。それ故に、私自身はさほど動じることもなく、示されたところが具体的にあった時には、
そのことに取り組まさせて頂きながら進んできました。そして何よりも大切なのは、この高校を
卒業してから後の時期であることを思います。
 私もそうでしたが、ちょうどこの時期に私は親がもっている価値観に"これでいいんだろうか
"、"私は何をしたいんだろう"自分が何者なのかと、これまであまり現実的でなかった生き方に
自分を見ようとし、迷ったり探ったりする大切な時期であったと思います。そんな時に、私は三
浦綾子さんの塩狩峠を読みました。人が人のために自らの命を捧げることができることに、そ
んな方がいるのだろうかという不思議な感動がありました。そこで浮かび上がってきたのが、"
教会"という文字でした。教会とはまったく無縁といっても過言ではない所におりましたが、それ
を読んで、教会に行ってみたいという思いでいっぱいでした。私にとってこの時の感動が、自分
の生き方との出会いであり、イエス様によって導かれた信仰の歩みでした。
 それをきっかけに、神様によって救われました。本当に聖書のみことばが、心の中に次々と
入ってきて喜びに変えられる、そのみことばがわかるようになるすばらしさは、神を信じている
ものにしか味わえない大きな恵みです。
 人は罪人にすぎず、それをにない十字架にかかって下さったそのお方を見るまでに、神様に
この子供を扱っていただきたいと心から願っています。与えられた子供たちの責任をになう者
として立たされている者であり、本当に日々たたかいと祈りの連続です。
 みことばを心に受け入れることができ、良い地に変えられてよい実を結ぶことができる者とさ
れたのですから、次の時代を担う者たちにも、みことばを受け入れることのできる良い地となっ
て頂かなくてはなりません。みことばを受け入れるその"時"を逃がさずに神様のみ業を信じて
歩ませて頂きたいと心から願っております。
 ですから子供たちにはたくさん悩んで欲しいと思います。そして神様が何を話しかけていて下
さるか聞き分けていく者、悟りのある者として、神様との豊かな出会いをしてもらいたいと願っ
ています。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)


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