「同労者」第90号(2007年4月)                           目次に戻る 

ショートコラム ねだ

ー  自然の力 −




 当コラム、本当に言いたいことでなく、ちょっと"あさって"の方をむいたタイトルをつけることが
よくある。
 が、まあとにかく、写真をみてくだされ。
実利学問で多少名の知られる東北大学工学部の構内である。実は市道であって大学が管理
しているわけではないが、歩道のスレートが至る所ぼこぼこである。
 原因は一目瞭然、街路樹・・けやき・・の根が、目地がセメントで固められているこの重たいス
レート舗装を持ち上げているのである。スレートと勝負をしたら木の方が潰れてしまいそうに感
じる。というわけで、なんとも面白いので、1枚ぱちりと写真をとってみた次第である。
 さて、なぜこのようなことが起きるのか?神は木を用いて奇蹟を行われるのか?
むくむくと「探求心」が沸き起こってくる。
 もちろん、すべては神の業、他の誰の仕業でもないことは明らかである。しかし、奇蹟、奇蹟
といってくださるな。神はご自分で定められた「自然法則」を尊重される。めったなことで奇蹟は
なさらない。つまりこのようなことが起きる自然の力があるのだ。 では、それはどんなもの
か?もちろん結論がでているのではない。その前段、こういうものを調べる筋道を考えようでは
ないか。 既に分かっている一般的原理から、この木の根が力を発揮する原理を考えよう。こ
れを「演繹法」という。
 まずその要因となりうる「原理」と「機構」(メカニズムという)・・こういうことばを使い出すと読
んでもらえなくなるが・・よけいなものを除いた理想的な「構造」(モデルという)を考え、その考え
が正しいがどうかを調査するのが、通常行われる研究の方法である。そのようにせず、やみく
もに調べようとしても、その原因を解明できることは少ない。
 ここではもちろん研究は行わない。思考のお遊びをするのだ。 さて、
 木の根が力を出す原理が2つ考えられる。
 その1は水圧である。
 その2は浸透圧である。
 木はそのてっぺんまで水を含んでいる。てっぺんから下までの水圧が、根に加わるとする。も
し、木の高さが20メートルあり、根の表面積が1m2あれば、実に20トンの力が出る。もちろ
ん、動かせる距離は微少だが根の成長を抑えておけないのである。 どうして20メートルも30
メートルもある木のてっぺんまで、水がのぼるのか、それもまた興味深い。水の入ったバケツ
の縁を越えてタオルが掛かっていると中の水が外にたれることはご存じであろう。これは毛細
管現象によるのである。最初のバケツよりも高い位置に、たれた水の受け皿があれば、みず
はその差だけ昇る。もしそれを繰り返すことができれば、水はどこまでも昇ることになる。
 こうして木のてっぺんまで昇った水が、根まで一気に水圧として加われば、根は驚くほどの力
をだす。
 第2に考えられる原理は浸透圧である。以前、下の娘が小学4年の時だったが、夏休みの研
究に、セロハンを隔てて砂糖水と普通の水を接触させると、水は砂糖水の方に移動する面白
い性質があるよ(これすなわち浸透圧である)、と教えたら、蒸留水を入れたビーカーにセロハ
ン膜を下にとりつけたガラス管を立て、砂糖(蔗糖)水の濃度、温度、時間と水がどこまで昇る
かせっせと調べた。そして内容をまとめ、グラフにして、レポートができた。親の目には大変よ
い研究になったと見えたが、それは5年生の勉強だからダメとて良い点はもらえなかったらし
い。それはさておき、この娘の実験では、1.5メートルもあるガラス管から水が溢れるのであっ
た。つまり、砂糖水と蒸留水との間の浸透圧は、0.15kg/cm 以上にもなるということであ
る。これがどのくらいの力かというと、先ほどの木の根にこれが働いたとしよう。木の根の表面
積が1m あれば、これだけで1.5トンの力がでることになるのである。 かくして、奇蹟と見
えた写真の姿も、自然の原理が使われて生じても不思議はないと分かってくる。
「夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、」(マルコ4:27)木の根が成長し、スレートは持ち上
げられているのである。

 木の根の話はそれで一件落着となるかも知れないが、福音の働きについても、同様のことが
多々あることを知る必要がある。
 結果のみをみるならば、「奇蹟」とだけ目に映る神のみ業も、神はどのように働かれたか、何
を用いられたか、誰のどのような働きを通してみ業をなされたか、「探求」することが大切なの
である。そして、そのような働きに自らも身を投じる、そのようにしてこそ神のために働くことが
できるのである。諸君、何事にも「探求心」を失うことなかれ!と声を大にしておすすめする次
第である。



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