「同労者」第90号(2007年4月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (74) 
D.L.ムーディー 著   山田 大 訳

 確信についてのパウロの教え

(前号のつづき)ローマ8:32を見てください「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しま
ずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらな
いことがありましょう」。もし神が御子をくださったのなら、御子が私たちのものであるという確信
をもくださらないということがあるでしょうか。私はこのような実例を聞いたことがあります。1万
ドルの借金があり、破産しかけている人がいました。しかし一人の友人が現れて全額を払って
くれたのです。その後で彼にはまだ2、3ドルの借金が残っていることがわかりましたが、彼は
その友人があの大金を払ってくれたのだから、その少額をも払ってくれるだろうことをほんの少
しも疑いませんでした。
 私たちは、もし神が私たちに御子をくださったのなら、御子といっしょにすべてのものを私たち
に恵んでくださる、という確かな保証を持っているのです。そしてもし私たちが議論の余地なく
救いを得たいと願うなら、神は私たちを暗闇の中に放って置かれることはありません。
 ローマ人への手紙8章は偉大な確信で終わっています「神に選ばれた人々を訴えるのはだ
れですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださ
った方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのため
にとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難で
すか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたの
ために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書
いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのこ
との中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、
御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほ
かのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことは
できません」(ローマ8:33〜39)。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)


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