「同労者」第90号(2007年4月)
目次に戻る
確信についてのパウロの教え
(前号のつづき)ローマ8:32を見てください「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しま
ずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらな いことがありましょう」。もし神が御子をくださったのなら、御子が私たちのものであるという確信 をもくださらないということがあるでしょうか。私はこのような実例を聞いたことがあります。1万 ドルの借金があり、破産しかけている人がいました。しかし一人の友人が現れて全額を払って くれたのです。その後で彼にはまだ2、3ドルの借金が残っていることがわかりましたが、彼は その友人があの大金を払ってくれたのだから、その少額をも払ってくれるだろうことをほんの少 しも疑いませんでした。
私たちは、もし神が私たちに御子をくださったのなら、御子といっしょにすべてのものを私たち
に恵んでくださる、という確かな保証を持っているのです。そしてもし私たちが議論の余地なく 救いを得たいと願うなら、神は私たちを暗闇の中に放って置かれることはありません。
ローマ人への手紙8章は偉大な確信で終わっています「神に選ばれた人々を訴えるのはだ
れですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださ った方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのため にとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難で すか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたの ために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書 いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのこ との中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、 御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほ かのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことは できません」(ローマ8:33〜39)。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)
|