「同労者」第90号(2007年4月)                          目次に戻る

わかもん

土の器の測り知れない力
山田 行

 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は
日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い
永遠の栄光をもたらすからです。」(コリントU4:16〜17)

 今年も3ヶ月が過ぎようとしています。毎日があっという間に過ぎていきます。本屋さんで「丁
寧な暮らし」とか「スローライフ」の本に目がいきます。・・無我夢中で生きるというのは少々時
代遅れ・・世の中に振り回されないで、自分の生き方を見つけてゆっくりと丁寧に暮らす。・・・そ
んな文章に、大きなため息が出てしまう自分がいます。朝から晩まで時間に追われ、やらなく
てはいけないことが山ほどあるのに、身体はくたくたで思うようにはかどらず、明日は必ずやろ
うと思いながらできなかったりと、本当に辛い時もあります。丁寧とはどういうこと?と笑ってし
まうほどバタバタと生活をしています。これが自分の限界なのかな、性格が大雑把なのだか
ら・・などと、もの悲しい気持ちになったりします。最近は恐ろしいことにそのやらなくてはいけな
いことも忘れてしまうなど、年齢のせいなのでしょうか?(笑)しかし、どうしようもない時も必ず
神様は助けの御手を差し伸べてくださいます。足りないことだらけの私のようなものがここまで
助けられていることが本当に生きた証であります。神様が私の周りに多くの助け手を置いてく
ださったのです。昨日も、10キロ!
のお米をスーパーで買ったのですが、小学5年の息子が肩に担いで家まで運んでくれました。
ただそれだけのことなのですが、私ができなくても子供がこうして担いでくれるようになったので
す。これも神様が私に与えてくださった助けなのです。自分だけが一生懸命、自分だけが大
変、自分だけがつらい・・・と思いがちですが、みんな同じように、それ以上の多くの苦しい戦い
をしながらいることを忘れてしまうのです。互いに皆で支えあい助け合い励ましあっていること
に感謝せず、子供もまるで親の自分が必死で育てている気持ちになるのです。それは本当に
大きな間違いで、高ぶり以外にないものでした。沢山の方々が助けてくださいました。多くの励
ましも頂いているのです。子供も親を支えてくれているのです。私は本当に自分のもろさを知っ
ています。そこらに転がって、いつ壊れようが誰の眼にも留まらないような土の器なのです。し
かし、キリスト・イエスの命をこの器に哀れみのゆえに入れてくださったとき測り知れない神の
力が与えられ、もうそれは私ではなく神ご自身の御支配にお委ねして生きる幸いに入れていた
だいたのです。時にはくじけそうになりますが、また、!
神の御支配を離れて自分の思いにあゆむ愚かに陥ることもあるのです!
が、又悔い改めて信じて歩んでいます。私たちは目に見えることにほんろうされ、喜んだり悲し
んだりしていますが、神様が与えてくださる目に見えない重い永遠の命と栄光をきちんと心に
留めて謙遜に生き続けたいと願います。そして私も隣り人とのためにその荷をになってあげれ
るように励みたいと思いました。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)



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