「同労者」第91号(2007年5月)                           目次に戻る 

ショートコラム ねだ

ー  ことわざ −

 語源の問題をテーマにクイズをするテレビの番組に、「目からうろこが落ちる」ということばを
取り上げていた。このことばの語源は、聖書に慣れている私たちにとってはすぐ分かる。パウ
ロがダマスコに向かった旅で天からの光に打たれて目が見えなくなり、ダマスコに入ってアナニ
ヤに祈ってもらったとき、目からうろこのようなものが落ちた、というパウロの回心のできごとか
らきていることは言うまでもない。
 「ことわざ」には、人の世の微妙なセンスが凝縮されて表現されているので面白い。
 「覆水盆に返らず」
これは、
「私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のような
ものです。」(サムエル記U14:14)と、アムノンを殺して逃亡したアブシャロムを連れ戻すために、
将軍ヨアブが工作し、ダビデのところに行かせた女がダビデに話した会話に出てくることばから
きているのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
確かに、この女のことばは、「盆に返らず」ではなく、「拾い集めることができない」である。この
語源については、中国の故事に由来するいくつかの説があるらしい。例えば、呂尚(りょしょう
=釣り人の代名詞になった太公望)が、いったん離縁して出て行った妻が、戻りたいといって
来たときに、盆の水をこぼして見せて、水を盆にもどせたら戻らせてやる、といったとか。
 先日これもテレビを見ていてのことであるが、問題に答える出演者のオバカな回答に、
「腹が捩(よじ)れる」「腹の皮がよじれる」
ほど笑い転げた。
 おなじ、おかしいことであっても、
「へそが茶を沸かす」
おかしさは、ちょっと意味がちがってくる。
これは、「お前のやってることはなんだ、ふん」と嘲っていることになる。「ちゃんちゃらおかしい」
ということらしい。

 この世のことわざもなかなか興味深いが、箴言は「ことわざ集」である。箴言のことばを、思い
巡らすもまた楽し。
「これは、知恵と訓戒とを学び、
悟りのことばを理解するためであり、
正義と公義と公正と、
思慮ある訓戒を体得するためであり、
わきまえのない者に分別を与え、
若い者に知識と思慮を得させるためである。
知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、
悟りのある者は指導を得る。
これは箴言と、比喩と、
知恵のある者のことばと、そのなぞとを
理解するためである。」
(箴言1:2〜6)



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