「同労者」第92号(2007年6月)                           目次に戻る

JSF&OB

 君もそこにいたのか
 石井 和幸

「イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に『女の方。そこに、あなたの息子
がいます』と言われた。それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます』と言われた。その
時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19:26〜27)


  5月の連休に、私の教会でも1泊2日のキャンプを行った。兄弟姉妹方と、分科会にて同じ
学びをし、レクリエーションでは教会全体で同じことに取り組み、主にある恵みを共有すること
ができ、大変感謝だった。・・・分科会での学びは、一つのテーマ、課題に対し、ある人は経験
者として赤裸々な証をし、またある人はいま戦いの最中にある立場から証をされていた。これ
から様々な経験をする若い人たちも、ある人は一生懸命ノートを取りながら、学びに加わって
いた。教会キャンプの恵みにみられるように、同じ事柄に対してそれぞれの視点から、様々な
人から証が生まれてくることは、何と幸いなことだろうと実感する。
 「君もそこにいたのか」という賛美歌がある。「君もそこにいたのか 主が十字架に付くとき 
あぁ何だか心が震える・・・君もそこにいたのか」という歌詞である。
私も若い頃は、大した意味も分からずに教会の中で、それでも若いなりに教会の一員として、
先生方と、兄弟姉妹方と共に歩ませていただいた。私の場合は自分の教会だけでなく、他教
会の人たち、他教団の人達とも、クリスチャンの同労者として、共に戦う時も与えられた。今思
うと、私が自らの十字架を見上げるとき、決して私一人ではなかった。「君もそこにいたのか」
…そう呼べる隣人がいて、そっと祈ってくださっていたことを忘れてはいけない。共に十字架を
見上げた人達は、自分にとって一生の師となり、一生の友であり、また一生の伴侶になりうる
こともあるのだ。
 だから、これからも主にあって生きる人達と共に、「君もそこにいたのか…でもいなくなってし
まったのか」となることを望まずに、主の導きによって与えられた交わりを高く値積もりつづけて
いきたい。主の真理を信じ続けた同労者と、主の恵みと憐れみを分かち合い、主に栄光を帰
するために。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)



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