「同労者」第92号(2007年6月)
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ことばというものには意味がたくさんある。そのなかで日本語に「虚像」と翻訳されるバーチャ
ルについて取り上げよう。もともとの意味は、鏡に写った像がバーチャルイメージなのだそう だ。
テレビなど映像の技術が発達し、さらにコンピュータで、図や映像を取り扱うことができるよう
になって、シミュレーションなるものが大はやりである。だがお気をつけあれ。これはバーチャ ルなのでありますよ。いつのまにか、本物とバーチャルの区別がつかなくなる傾向がある。東 芝の元部長が、「最近のうちに入ってくるやつらは、すぐコンピュータシミュレーションで・・。とい った仕事を望む。現場で油にまみれた経験をしないで機械の設計なんてできるものか!!」と 言っていた。
だがもちろん、バーチャルでも役に立つものがある。例えば天気予報。気象予報士の方々
が、"見てきたように"説明してくれるが、実は、コンピュータの中に数値が入っているだけなの である。膨大な調査と実験研究の結果作り上げた「気象モデル」なるものを、スーパーコンピュ ータで計算し、次の時点で気象はどうなるのか、とシミュレーションした結果を説明しているわ けである。
学会の研究発表、紙だけで説明することはなくなった。映像を用いて、自分の研究した結果
を、聴衆に理解してもらうのである。バーチャルなのだが、「百聞は一見に如かず」といった効 果がある。新約と旧約並べた場合、旧約の方が「実」であるように感ずるが、面白いことに、旧 約はその意味での新約のバーチャルなのである。「律法には、後に来るすばらしいものの影は あっても、その実物はないのですから、・・」(ヘブル10:1)
さてはて、世の中には恋愛もバーチャル、女もバーチャル、映像だけ、メールだけなーんて世
界が広がっている。だがこればかりは本物じゃなくっちゃね。バーチャルな恋愛、バーチャルな 結婚、バーチャルな女なんて"願い下げ"といったところである。
さて皆さん、お前たちがわたしに献げる供え物を、
「さあ、あなたの総督のところに
それを差し出してみよ。
彼はあなたをよみし、
あなたを受け入れるだろうか。」
(マラキ1:8)
と、神が言われているみことばがある。信仰もバーチャル、ただ考えているだけの思考のシミ
ュレーションといったもので、「お前の信仰はバーチャルだ。そんな信仰は"願い下げ"だ」と、 神様に言われないでしょうねエ。
信仰は、熱い血潮の流れる生身のものしか神に喜ばれませんぞ。
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