「同労者」第92号(2007年6月)
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救いの確信は確かな事実へ(つづき)
キリストは、70人の弟子たちが戻って来て、旅の成功に得意になりながら「主よ。あなたの御
名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します」と言った時、この教えを語られました。主は 彼らをいましめておられるご様子で、真に喜ぶべきものを彼らに与える、と言われました。「だ がしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたが たの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」(ルカ10:20)と。
私たちの救いは確かであると、疑問の余地なく知ることは、私たち一人一人に与えられた特
権です。それを得た上で、私たちは他の人々のために働くことが出来ます。しかしもし自分自 身の救いが曖昧だったら、神の奉仕にふさわしくありません。
もう一つ、ヨハネ5:24にこうあります「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのこ
とばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがな く、死からいのちに移っているのです」。
審判の大いなる白い御座の前に出るまでは、自分が救われているかどうかは決してわから
ない、という人々がいます。しかし愛する皆さん、もしあなたのいのちがキリストとともに神のう ちに隠されているのなら、あなたは罪のために裁きの座に付くことはありません。私たちは報 酬のために裁きの座に付くことはあるかも知れません。このことは、5タラント預けられて、もう 5タラント儲け「ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五 タラントもうけました」と言ったしもべに対して、主人が精算をした箇所で、明確に教えられてい ます。主人は彼に言いました「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実 だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:20 −21)。私たちは働きによって報酬が定められるでしょう。しかし救い――すなわち永遠のいの ち――は別の問題です。(この項続く)
(訳者 仙台聖泉キリスト教会 会員)
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