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          「同労者」第92号(2007年6月)
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            レビ記のはじめに書かれている儀式は、イエス・キリストの贖いのみ業を示すことが中心で
           
          した。そしてそれは神殿における儀式の規定でした。 
           レビ記の23章に、安息日と年々の定まった時期に聖会を開いて礼拝を行い、神を信じて生
           
          きる道が記されています。この規定に従って、イスラエルの男子は年に三回、神の前に出て礼 拝をしなければなりませんでした。これは、神の民の生活に視点が置かれた規定です。 
          「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭り
           
          のときに、あなたの神、【主】の選ぶ場所で、御前に出なければならない。」(申命記16:16) 
           種を入れないパンの祭りは、過越の祭りとも呼ばれています。神がエジプト人のすべて初子
           
          を殺されて、イスラエルをエジプトから解放された時、子羊の血を家の入り口の柱とかもいに塗 った人の家は、過ぎ越されたことを記念するものでした。その際、犠牲の子羊はすべて焼か れ、種を入れないパンに苦菜を添えて食べました。犠牲の子羊の骨は折ってはなりませんでし た(出エジプト記12:46)。十字架に架けられたものを十字架から降ろすとき、蘇生して逃亡しない ように、足を折るのが十字架刑の規定でしたが、ヨハネは十字架に架かられたイエスの骨が 折られなかったことを記述し、この過越の子羊がイエスを指すものであることを示しています。 
          「その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であった
           
          ので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラ トに願った。それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もう ひとりの者とのすねを折った。しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられる のを認めたので、そのすねを折らなかった。しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍 で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。それを目撃した者があかしをしているので ある。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すとい うことをよく知っているのである。この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という 聖書のことばが成就するためであった。」(ヨハネ19:36) 
           過越は、これらの祭儀のうち最初に行われるものであって、イエスの十字架の贖いを示すも
           
          のです。神の民は、十字架の贖いを、神の前に生きる出発点としなければならないことが、こ れによって示されています。(以下次号) 
          (仙台聖泉キリスト教会会員)
           
          
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