それらの人々のひとりによって公表されたいくつかの質問が、
ある凡人に以下のように書かせることになった。
--質問。この世において到達可能な完全を否定する方々に
謙ってお尋ねする。
(1)新約の福音下では、ユダヤ人の律法時代に与えられたも
のよりも、遥かに豊かな聖霊の存在があるのではないか?
もしもそうでないなら、「キリストがまだ栄光をお受けになって
いなかったので聖霊はまだ降っていなかった」(ヨハネ7:39)とは
どのような意味か?
(2)「キリストの苦難につづく栄光」(ペテロT1:11)は、外的な栄
光か、それとも内的なものすなわちホーリネスの栄光か?
(3)聖書のどこかに、神は私たちに約束されていること以上の
ことをお命じになっているか?
(4)聖潔を重視される神の約束は、この世で満たされるもの
か、それとも来世のみなのか?
(5)キリスト者は神が「私たちの心に記される」(エレミヤ31:31
など、ヘブル8:10)と約束された以外の、いかなる律法のもと
にあるのか?
(6)「肉に従ってではなく、聖霊に従って歩く者の内に、律法
の義が満たされる」(ローマ8:4) とはどのような意味か?
(7)「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神
を愛すること」がこの世においては、誰にも不可能なのか?
そしてキリスト者はこの愛によって満たされないどんな律法
の下にあるのか?
(8)魂が肉体から離れることは、内住の罪からの潔めに効
果があるのか?
(9)もしそうであるなら、それは「全ての罪から」「潔めるキリ
ストの血」以外の何かによるのではないのか?
(10)キリストの血が私たちをすべての罪から潔めるとしたな
ら、魂と体が結ばれている時であって、この世においてでは
ないのか?
(11)もし魂と体が離れてしまった時であるならば、それは来
世おいてではないのか?
そしてそれでは遅すぎないのか?
(12)魂が肉体にある時でも、肉体から離れた時であっても、
死というものの中に魂に対するいかなる位置づけがあるの
か?
(13)何処かで、キリストが私たちに決して与えることをなさら
ないものについて祈れと教えられたことがあったのか?
(14)彼は「御心が天において成就するように、地上でも成就
しますように」と祈るように私たちに教えられなかったのか?
そして天においてそれは完全になされていないのか?
(15)もしそうであるなら、彼は地上で完全であるように祈れ
と私たちに教えなさらなかったのではないか?
それでは彼はそれを私たちにお与えにならないことを決めて
おられたのか?
(16)聖パウロは、彼がテサロニケ人たちに「体と魂と霊が、
イエス・キリストが来られる時まで」「全く潔くめられ、保たれる
(彼が祈っているのは死者のためではないから、この世にお
いてであって来世においてではない。)ように。」と祈った時、
神のご意志に従って祈らなかったのか?
(17)あなたがたはこの世において内住の罪から解放される
ことを真摯に望まないのか?
(18)もし望むのであるなら、神はあなたがたにその願いをお
与えにならないのだろうか?
(19)もしそうであるなら、それは決して満たされることができ
ないのであるから、神はあなたがたをばかにしてそれをお与
えにならないのではないか?
(20)もしあなたがたがそれを望むに足る十分な誠実さを
持っていないなら、あなたがたは自分に不相応なことについ
て言い争っているのではないか?
(21)あなたがたは神に「あなたがたの心の思いを潔め」て、
あなたがたが「神を完全に愛することができる」ように、これ
までに祈っているだろうか?
(22)もしあなたがたが祈っているものを得たいと願わないか、
あるいはそれに到達できるものと信じていないのであるなら、
愚か者の祈りを祈っているのではないか?
神が、あなたがたがこれらの質問を静かに偏見無く考えられ
るように助けてくださいますように!(以下次号)
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