「同労者」第93号(2007年7月)                          目次に戻る 

論  説

 − 「主の戒め」の目的 

「幸いなことよ。全き道を行く人々、【主】のみおしえによって歩む人々。 幸いなことよ。主のさと
しを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。」(詩篇119:1〜2)
「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守
ることです。私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い
出ないようにしてください。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえま
した。」(詩篇119:9〜11)
「あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。・・・ それは、私があなたの戒めを守っている
からです。」(詩篇119:98〜100)
「あなたの御手が私の助けとなりますように。私はあなたの戒めを選びました。私はあなたの
救いを慕っています。【主】よ。あなたのみおしえは私の喜びです。私のたましいが生き、あな
たをほめたたえますように。そしてあなたのさばきが私の助けとなりますように。」(詩篇119:173
〜175)


 神が私たちに命じられる事柄は、「主の戒め」と考えてよいでしょう。それには「これこれのこ
とをしてはいけません」あるいは「こうしなさい」ということが含まれます。
 主の戒めの目的は、このような例を考えればよく分かります。子供たちの歯磨きが習慣とし
て定着するまで、親は子供たちに「歯磨きをしなさい」ということでしょう。それを聞いた子供た
ちが、親がいうからしかたがない・・と、みがく格好だけしてお座なりな歯磨きをし、食べかすを
歯につけたままにしたとします。やがて起きてくる結果は目に見えています。虫歯となり、いや
な治療を受ける羽目にいたります。親のいいつけをよく守って、ていねいに歯磨きをしたなら健
康な歯を保てることになります。
 これは単純な例話ですが、神が私たちに戒めを与えられる目的、みこころ、をよく表している
と思います。神は私たちを「ご自分の聖さにあずからせようとして」(ヘブル12:10)お取り扱いにな
るのです。
 もし私たちが「心を尽くして」主の戒めを守るなら、神はお喜びになり、神を尋ね求める人々
の幸いに与ります。それは、私たちから罪を遠ざけます。そして、それは私たちにこの世の知
恵にまさる知恵となります。神は私たちを導いて、よい人格、人生の建設をさせて下さるので
す。
 神が語って下さることを聞き、それに生きることは、神が私たちに恵を下さるために必要な道
筋です。それを形だけ守るのではなく、神がおまえは私のいうことを守ったと言って下さるよう
に、「心を尽くして」守らせて頂こうではありませんか。
 



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