「同労者」第94号(2007年8月)                           目次に戻る 

ショートコラム ねだ

ー  たまにスキップしたくなる −

 たまにスキップしたくなる。4才児のやるあれである。
 だがしない。誰も見ていなくてもしないから我ながら不思議である。
 スキップしたくなるというのは、踊り出すまでにはいかないが、はしゃぎたい心の現れかも知
れない。したいのにしないのだから、心と行動にギャップがあるとでも分析しておこう。
 外国の人々とおつきあいをしたり、出かけていって一緒に暮らした経験なぞないに等しいが、
情報のよく伝わってくる世の中になったので、日本人は普段の生活ではしゃぐことは少ない
が、ヨーロッパ系の人々ははしゃぐことができるようだと感じる。
 そうできる場があればできる面もある。自宅に客をたくさん招いてパーティーを開き、小話、ジ
ョークを飛ばしあうなんて"乙なもの"だ。
 お祭りもある。ハロウィーンだといって、子供だけでなく大人もダンスをし、大はしゃぎするらし
い。
 リオのカーニバルなぞというものをテレビでかいま見るが、底抜けである。きっと誘惑も多い
ことであろう。
 男女がペアになって踊るダンスは日本では、ポピュラーとはいいがたいが、あちらの人々に
は普通のことらしい。
 日本人の間でも、大衆のおどりとしては、祭りにはたくさんある。阿波踊りはよく知られている
が、仙台七夕でもすずめ踊りと称して、最近振り付けたおどりを、おお叔母さん連が、大はしゃ
ぎで踊っている。
 と、まあ、確かに日本人でも、祭りの間限定で、大はしゃぎをすることもないではないことにな
る。オンバシラなんぞといって、巨木を急な坂の上から引き下ろしそれに乗るという、怪我はも
とより、命がけで男どもが大はしゃぎをする祭りもある。
 偶像の祭りが、祖国の文化になっているという現実に、「残念な」と、思いがよそにいってしま
わないでもないが。
 ともかく、はしゃぐことができるのは、結構なことではあるまいか。
 聖書にもはしゃいだ人物が登場する。
「ダビデは、【主】の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。・・ダビデ
とイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上った。【主】の箱はダ
ビデの町に入った。・・ダビデ王が【主】の前ではねたり踊ったりしている・・」(サムエル記U6:14〜
16) 主の箱が自分の町に来るのをダビデは喜んで、はねたり踊ったりしたのである。神もその
はしゃぐダビデを喜ばれたことは歴然である。それを"くさした"ミカルはダビデの妻であったに
もかかわらず、ダビデの家系に、はいれなかった。
 主の前でスキップできるようなことはないものか?




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