ショートコラム ねだ

− 聖書通読55年 −
 
 聖書通読をはじめてから55年、あと3ヶ月で満56年になる。その間、1年で聖書全部を読み、達成しなかったことは ない。ただし数章を1月入ってから読んだことも数回あったが。スポーツの記録なら、通算記録でなく連勝記録である。 誰かが一念発起して読んでも、55年かけないと達成できない。ちょっと愉快な気持ちになってはいけないものか。
 実態は、「やっと読んだ」、「とにかく読んだ」ことの方が多かった。
時には、順調に読む時間を確保でき、通読の日にちを1回もずらすことなく、1年読めたことも何回かあったが、ほとん どは、遅れてまとめ読みをして挽回した時があった。1週間分くらいならなんとかなる。ときには、米田豊著「旧約聖書 講解」を聖書日課にあわせて同じ章を読み、1年間で全部読んだこともある。そういうことができると、ただ読むよりも聖 書の内容に深く届くことができて本当によかった。
 ずっと後になってからだが、新婚当初のことを思い返して家内がこういった。「結婚した当初、私は家にひとりでいて、 1日中誰とも話すこともなく過ごしたから、人と話すことに飢えていて、あなたがかえってくると、帰ってきた!さあ話がで きる!!と思うと、あなたったら、帰ってくるなり聖書を読んだの。それで待たされて・・。」と。世の生活は忙しいことが 多かった。今、残業時間が多いと世間で騒いでいるが、朝8時に出勤し、夜9時まで会社にいることが定常状態であっ たことも長く続いた。土曜日も会社に行き、日曜日も集会のない午後の時間帯に会社に行ったことも多かった。「聖日 は仕事をしない」とはいかなかった。
 昼休みに会社の仲間と将棋をさしたり、時には会社に野球部があって練習をしていたので、一緒にやらせてもらった こともあったが、聖書通読が追いつかなくなると、通勤に使っていた車の中が聖書を読む場になった。東京に出向にな ったことがあって、それは2年と数ヶ月だったが、週末、土日に戻ってきた。交通手段は自家用車で国道6号線を走る。 金曜の夜帰って日曜夜の集会が済んでから月曜の朝までにむこうへ行く。それで週に2回、ほとんど徹夜となった。そ こでも会社は長時間労働で、宿泊していた寮が松戸市、そこから市川までバス、市川から亀戸まで電車という通勤であ ったが、市川からでる最終のバスに乗れなくて、もう確かではないが1時間くらいかけて歩いて帰ったこともあった。そ れでも聖書日課は読めた。勤め先が二本松になって福島まで新幹線、そこから先自家用車で二本松まで往復したこと もあった。新幹線は快適な聖書通読の時間になった。
 どんな状況で聖書を開いても、聖書を開くと神がそこにおられた。それで「ここは神が直接教えてくださる学校=神学 校だ!」と思うようになった。
それで私は神学校の56年生である。


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