― Q&Aルーム ―
質問してみよう「聖書を学ぶ会」−71
山田 保
「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖な
るものとなりなさい。わたしが聖であるから。」
(レビ記 11:45)
今年に入り、初めての聖書を学ぶ会が1月17日に行われました。今回の学びも今までと変わらずに兄弟姉妹が集
い、最後まで守られましたことを感謝しています。
今回開かれた箇所は士師記20章でした。レビ人が、ベニヤミンで暴行され殺された側女を切り分け、イスラエルに送
り、ベニヤミン族から悪を除き去ろうとする箇所でした。イスラエルはベニヤミン族から反旗を翻され、二度にわたって
敗北をさせられましたが、三度目にやっとの思いで打ち負かします。このことから嘉納先生は、イスラエル全体に及ぶ
神の裁きに着目し、お話をされました。イスラエルがベニヤミン族のように軍事的に発展し、傲慢になってしまう民族を
作り出してしまったことはある種の罪であり、また最終的にそれが自国の中で同士討ちに繋がっていったことが一つの
裁きであると語られました。これらのことを通して、罪というものの恐ろしさ、また本当の意味で道徳性、倫理性を維持
し、神のための行いを聖別していかなければならないということを語られました。
その後、咲姉より冒頭のレビ記11章45節の箇所を通して、祖父光明師から聖めというものを考えなさいと言われた
のだが、聖めとはどういうものなのかという質問がなされました。嘉納先生は、イエス・キリストの贖いというものを持ち
続けて物事を乗り越えていくことが重要な聖めという霊的経験に繋がることであるとお話されました。それは、日常をた
だ暮らしているだけでは分からないことだが、このような聖書研究会などで霊的な知識を蓄え、それを人生の問題に直
面した時に用いることが出来るかが私たちが常に問われていることであるとお話しされました。また、神が望むものを
見出し、それを素直に「分かりました」といって差し出すことが出来るかどうかが問われていると語られました。
私自身も今まで生きてきた中で学校の進路や教会での御用などで導かれたことはたくさんあり、当時は何故こんなこ
とをやらなくてはいけないのだろう、何故この進路なんだろうと思うことはたくさんありました。しかし、こうして教会で愛さ
れ、生きていく中で、ああ、あの経験が今ここで生かされているのかと思うことが多く、神は本当に最善の導きをしてくだ
さっているということを心から感じました。
今年一年も様々な困難の中に身を置かれることが多いと思いますが、そのような中でも神の導きに素直に従って行
こうと思います。
(仙台聖泉キリスト教会会員)