JSF&OBの部屋

              〜 夢に寄り添う者 〜



               


                        石井 和幸

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事にについて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神が あなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケT 5:16〜187)
「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク 人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを 追い払うことができましょう。」(ヨシュア記 14:12)



 3月になりました。会社では年度末を迎え、教会においても、若い兄弟姉妹の卒業、進学、就職と、期待と不安が入り 混じる大切な時期を迎えました。また、私たちの教会では結婚式が予定されており、それに向けての祈り、準備が積ま れています。
 昨年、私たちの教会では、将来への展望、夢を語る集会が持たれ、それに向けての信仰告白が多くの兄弟姉妹から なされました。私は、自分自身がその流れに乗り切れていない信仰の足らなさを示され、冒頭のテサロニケ第一の手 紙にある御言葉を、今年の聖句として掲げてスタートしました。しかし、実際1月の歩みを終えてみると、すべてを感謝 できず、呟きが多かった自分であることを示されました。社会生活においての忙しさ、生活の慌ただしさがあり、そばに いて下さる牧師にそのことをこぼすと、先生は「でも、あなたがほとんどすべて決済しているのでしょう? 結局は自分次 第じゃないか?」と答えて下さり、自分もそう言われてみて(そうだなぁ・・・)と納得しました。2月初めの家庭集会では、牧 師より「もう少し、信仰によって歩むということがど


    


ういうことなのか捉え、信仰者として実践するように」とのアドバイスをいただきました。
 2月13日は私の誕生日です。牧師とともに祈り、新たな一年の歩み出しを始めました。しかし、追い立てられる日々 をどのように生きようかと迷っておりました。その矢先、キリスト教森郷キャンプ場に併設する、オープンしてまもないカ フェに立ち寄る機会が与えられ、私はそこで刺激と励まし、促しを受けました。まず私が学ばされたことは、カフェの経 営者、店員であるキリスト者の態度、姿勢です。どんなお客さんにも公平に、親しみをもって丁寧に接しておられまし た。私は普段、仕事においても、「こんなお客さんは好きだが、こういう人は嫌だ」「こういうお客さんは、本当はウチにこ なくてもいい」と内心思っていて、それが表情・態度に出てしまうときがあり、牧師からもその点を注意されていました。 仕事のみならず、家庭や教会においても実は、そのような振舞いをしていたことがありました。けれども、カフェの店員 は、誰にでも同じように接客されており、それが客である私にもすぐ分かりました。キリスト者の放つ香りは、こういうも のなんだと学ばされました。
 日を改めて子どもたちを連れてまたカフェを訪れた際、こんどは改築して新しくなったキャンプ場を、スタッフの方が案 内して下さいました。東日本大震災の前は、100人規模の幼稚園のキャンプ、諸教会のキャンプを受け入れた歴史の あるキャンプ場です。震災でほとんどの施設を解体せざるを得なくなり、震災前の体制に戻すのはとても難しいと、規模 の縮小を決断したそうです。けれども、神に幻を与えられたこの事業の継承を断念するのではなく、自分たちで出来る 新しいビジョン、新しい展開が導かれ、示されて、多くの祈りに支えられて実行されている証を伺うことが出来ました。





 私は、スタッフである兄弟姉妹が、「何としても主に導かれたこの事業を成し遂げる、主に仕えつづける」という意気込 みをもってとりくんでいることに大きな刺激を受けました。私も、もう一度、今与えられている事業を、信仰をもって、神 の導きを乞いつつ成し遂げたいと思わされました。また、昨年若い兄弟姉妹が語ってくださった夢に寄り添って、自らは 影で支えられる者になっていきたいと思わされました。
 信仰を持って歩みだしを始めてみて、(できるかな・・・ここは無理なんじゃないかな)と思っていたことが、さまざまな人 の働きに支えられたり、思いもよらない助けが与えられ、実現していく体験をさせていただいています。神ご自身が備え をしてくださることを実感しつつあります。
 上手くいかない、思い通りにならない、そんな時、「そうなら私はこの程度でいいです。」と最初から落ち着き、停滞して しまうのではなく、信仰を持って自分自身を変えていただけるように願って、歩んでいきたいと思っております。
(仙台聖泉キリスト教会会員)





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